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No.455 「医療に異を唱える有効性ってどこまであるんだろう」?

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 「デモの有効性ってどこまであるんだろう」と疑問を呈するタレントと、「患者のために医療の在り方を変えていこう」とする医者、社会/政治問題に発言する医者が少ないのとは、同じところに根があるのかもしれません。

 医者が、医局の枠組み/学界の枠組みの中に従い、その中で地歩を築くことに適応していくことに「生きがい/存在意義」を見出していくのも、「費用対効果を考える」という点で同じなのかもしれません(キャリアパスとかライフプラニングなどいう“立派な”言葉が用意されています)。
 「(患者のために)医療の現状に異を唱えても、有効性ってどこまであるんだろう」「医学界や医局から排除(処分)されてまで、異を唱える価値があるのだろうか」「おとなしくしていれば、それなりにメリットが有ることは確実なのに」と考え、たとえ違和感をおぼえてもそれを抑えてしまう若い医師のほうがきっと普通です。
 誰だって多少なりとも自分の人生を費用対効果から考えるのですから、そのこと自体を「非難」したくはありません。医者に限らず、出来上がっている既成の枠組みの中で「上手く」生きていくことには、メリットが大きいでしょう。それでも、人の「生き死に」に関わっているのに、それだけではあまりに寂しい。

 もちろん発言したり、行動している医者もいます。数は少ないかもしれないけれど医学界の秩序に取り込まれることに抵抗している医者も確かにいます。医療倫理や医療社会学を研究している人たち(医者もいますし人文系の人もいます)。障害の当事者や障害者と関わっている人たち。現在の医療にささやかなりとも「異を唱えている」人はいっぱいいます。

 患者さんでは、我慢している人のほうがずっと多いでしょうが、声は大きくはないけれど「これで良いのか」「これでは私が辛い」という声はいっぱいです。耐えきれずに大きな声を出す人ももちろんいますが、医者はミュートして聞きがちです。
 そうした人の声をなるべく聞かないようにして生きていく(自分はそんなに不適切なことはしていないと考える)ほうが、医学という「狭い」世界の中での自分の居場所(出世や地位を含みます)の確保は容易で、「心の平安」が得られやすい。

 その居場所を捨てることは難しいし、捨てなくてもよいけれど、それでも自分の居る場所への違和感二目を瞑らないことは患者さんへの務めのはずです。
 医療は患者さんと一緒に/患者さんがチームの一員となるからこそ、前に進めるのです。市民はそのことをもう発見しているのに、医療者にはまだ気づいていない人がいます。市民の中には、すでに医療者の「ひどさ」ゆえに、医療者への期待を放棄している人も少なくないと思うけれど、そのことにも気づいていない医療者も少なくない。そうしたことがこの国の最大の医療問題です(それと比べれば医療経済の問題などはるかに小さい)。

 政治が危うい時代です。連続ドラマ「ばけばけ」主題歌の「日に日に世界が悪くなる」という歌詞が身に滲みます。だからこそ、「続けなさい。時代は良くなっていくから、諦めないで」(ジェーン・フォンダ)という言葉を「真に受けて」、「異を唱え」続けたい。 (2026.02)


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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