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No.347 土地を拡げる

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 「近道はないねん。 あってもな、近道はお勧めせえへん。 なるべく時間をかけて歩く方が、力がつく。 歩く力はな、大変な道の方がようつく。よう力つけとけ、今しかできひんことや!」(連続テレビ小説「スカーレット」42回、深野先生の言葉)
 そんな言葉を私たちは若い医師たちにかけているでしょうか。
 臨床研修が充実しているということで人気の高い病院がいくつもあります。著名な指導医がいる、指導医数が多い、指導が手厚い、たくさんの入院患者さんを受け持つことができる(多忙である)、救急から総合外来まで多くの経験が積める、カンファレンスや勉強会が充実している、などなど。初期臨床研修必修化が始まってからずっと武蔵野赤十字病院には10名の定員に100名以上の応募があり(200名くらいの時期が長く続きました)、倍率はいつも全国1位です。確かに、武蔵野赤十字病院は上記のことを「それなりに」満たしているとは思うのですが、「それほど中身は濃くないのではないか」(逆に言うと、「ほどほどの、ほどよい濃さ」なのではないか)と私は思っています。その証拠になるかどうかわかりませんが、研修医採用試験に際して、当院を志望する動機に「研修医同士が仲良い」「職員間の関係が良い」「職員食堂が充実している」などと書いてくれる人も少なくありません(これも「社交辞令」でしょうが、それでもこのように書いてもらえることは素直に嬉しい)。
 「充実した研修」というものが、「無駄がなく」「密度の濃い」研修、研修医をぐいぐい引っ張っていくような研修だとしたら(そして、研修医にも指導医にも、無駄なく目的地に着くことのできるカーナビのような教育が好きな人は少なくありません。No.154でも書きました)、自分の頭でゆっくり考えない医師、時間をかけて患者さんと丁寧に付き合わない医師が生まれる危険性もあると思います。オリエンテーションで医療倫理や社会問題について考えたいと言っていた人も、研修が始まると忙さに追われてそうしたことを「ゆっくり」考えられなくなっていきます。臨床では、時間をかけて一人の患者さんと丁寧に付き合うことでしか得られないことがあるのですが、「無駄のない」多忙な研修ではその余裕が無くなりがちです。「軽快して」退院した人(今は在院期間がどんどん短くなって、少し良くなれば地域に戻されてしまいます)が、その後どのような暮らしをしているのか、どのように病気とつきあっているのかを見ることも、容易ではありません(日々の研修やカンファレンスに追われていれば、それだけで充実感が得られます) 1)。「無駄のない充実した研修」を求める医学生の思いは、受験生時代に身についた「偏差値の高い大学が良い大学」「成績では他人に負けたくない」という習性からのものなのではないかと私は邪推もしています。

 「院生のとき脳科学の先生が『幼い頃にぼーっとしたり、遊んだり、親に優しくしてもらうことは土地を拡げることに似てる。逆に勉強とか知識を詰め込んだりすることは建物を建てることに似てる。建物は高くはなるけど、土地が拡がってないから他の建物が建たなくなる』って言ってたことを思い出してる」とツィッターで書いている人がいました。「土地を拡げる」ような研修こそが、充実した研修だと思います。そのような研修でなければ、「患者さんから、無理に話を聞き出さずに待つ・あえて聞かないでおく」ことも(No.305)、「相手の話を分析せずに、ただ聞いている」ことも(分析しよう・聞き出そうという相手には、人は思いのすべては語らない)、「聞き流す」ことも(No.190)「耳の端だけで聴く」ことも(No.250 註5)、患者さんの言動をどう受け止めどう対応してよいかわからず「オロオロする」ことも(No.319)、患者さんと「一緒に雨に濡れる」ことも(No.324)、「患者さんをひとりぼっちにしない」ことも(No.346)できない医師が育ってしまいそうです。患者さんのそばに居続けることも、ゆっくりと話をさりげなく聴くこともしない、オロオロすることもできない「優秀な医師」を育てているとしたら、その教育は「充実していない」と思います 2)

 「芸術以外で人の人生を豊かにするもんは何や? 人を思うことや。自分以外の誰かの人生を想うことや。寄り添うこと、思いやること、ほんで時には背負ったりすることや。あんなあ、誰かの人生を思うことで自分の人生も豊かになるんやで。」(連続テレビ小説「スカーレット」120回 小池アンリの言葉)
 医者も、もちろん自分の周りの親しい誰かとの間ではそうしています。でもこの「誰か」に患者さんが入っていることは必ずしも多いことではないような気がします。
 周囲の人との親しい関係の中に生きようとする「共感型人類」に対して、そのような関係を煩わしく感じ、「他者への期待値を下げ、愛情や助けを求めず、自分だけを頼みとするという戦略」をとる「回避型」の人が多くなると岡田尊司さんは言っていますが(「ネオサピエンス」文藝春秋2019)、病気になった時にも人はその戦略をとり続けるのでしょうか。(2020.04)

1) 改訂された臨床研修制度ガイドライン(2020年度から実施)では、一般外来研修の中で「慢性疾患患者の継続診療」を行うことや、地域医療研修でも慢性疾患病棟での研修や在宅診療について経験することが求められていますので、少しずつ変わっていくと良いのだけれど、と思っています。

2) 以前はドライブ中に道に迷うと、道端に車を止めて、同乗者と道路地図を見ながら進路を検討したものです。そんなふうに苦労して、冷や汗をかきながら予定の時刻より遅れて「はじめての」軽井沢についたのは、もう30年近く前のことです。その後、高速道路やバイパスができ、何度か再訪し、カーナビがついた車に乗るようになり、道に迷うことはなくなりましたが、そのぶん到着した時の「感動」もなくなってしまいました。途中の景色はなんとなく流れ去り、地図を開くこともなくなり、もしかしたら地図を読む力も落ちているかもしれません。佐伯胖さんは『「わかり方」の探究』(小学館 2004)の中で、指導者が正解・正解に至る流れを熟知していると、学習者と一緒に考えることをせずに、どんどん指導してしまい、その結果、学習者は意欲がそがれ、指示に従うだけになってしまうと、LOGO学習の例を挙げて述べています。良い指導者というのは、道路地図を一緒に見て「こっちかな、あっちの方が良いかも」と話し合ってくれる人のことだと思います。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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