No.444 「重度障害児に安楽死を」?
コラム目次へ ある訪問クリニックの医師(37歳)がツィートした「重度の障害を持って生まれた子の安楽死が認められる社会である方が良い」という投稿が波紋を広げているというニュースがありました。(まいどなニュース 2025.5.13)
「『産んだのだから死ぬまで責任を持てよ』と両親に責任を負わせ続ける社会は、余りにも当事者達に無慈悲過ぎる」「両親が育てるのだと決めたら全力応援するのは前提で。両親の人権も大事」として親を障害児育児の負担から解放するために安楽死が認められるべきと言っているとのことです。
このYahooニュースのコメント欄には、「賛成」の意見が溢れています。当事者でないからそんなふうに他人事に言えるのだろうとも思いますが。身内が障害者であった人も賛意を示していましたが、この人にとっては身近な障害者もケアしていた人も「他人」だったのでしょう。反対の人は、あきれて、ここには書き込まないのでしょう。
「選択肢としては、あっても良いのでは」というようなことを言っている人もいっぱいいました。だが、この選択肢が「大手を振って」呈示されれば、介護している親はいっそう苦しみます。
この選択肢が呈示されれば、坂道を滑り落ちるように、不治の病、高齢者、精神障害者、外国人などにその選択が迫られる場面が出てくるでしょう。「障害児」の話だと思って賛成しているけれど、自分がそのような状態になった時、同じ論理で「抹殺」されてしまうかもしれないとは考えないのでしょうか。
件の医師の主張は「子殺し」の勧めです。1967年1970年と続いた「障害児を殺めた母親」に同情が集まったことに対して、「母よ、殺すな」と告発した「青い芝の会」の活動は大昔のことになり、若い医師はもう知らないのかもしれません。(横塚晃一『母よ!殺すな』すずさわ書店1975/生活書院から2007年に復刻)。
この安楽死の提案は、医者も親も下手人になれということです。そんなことがあったとしても、医者は他人事ですから「その後」に引きずることはないかもしれませんが、親は一生罪の意識をひきずって生きていくことになります。
「疲れた。この子さえいなければ」と親が思う瞬間はあると思います。だからこそ、「両親に責任を負わせ続ける社会」を変えることが必要なのです。「親を障害児育児の負担から解放する」ための「子殺し」は、もっともeasyな「解決」です。ナチスはホロコーストについて、「最終的解決」と言いました。
「障害はない方が良い」「自分の子どもは健常者として生まれてきてほしい」という思いには優性思想がありますが、それだけでなく「この社会では障害があれば生きづらい」という現実もあるはずです。治すべきは、そちらのほうです。
この医師は国民民主党から選挙に出たこともあるとのことです。政治家の仕事は、家族が「もう殺してしまいたい」と思ったりすることのない社会を作ることのはずです。もちろん、医者の仕事も同じです。「全力応援したい」だけで良いではないですか。
この医師は問題提起をしているつもりかもしれませんが、医療的ケア児の親/家族を攻撃しています。現にケアしている親の“苦悩”を増幅することにしかなりません。「早く死んでくれないかな」と思っている親がいるとしても、その親をも攻撃しています。
「『母だから、愛さえあれば、子どものために何でもできる』という美しい母像が前提とされていることに、みな追い詰められている」(親自身も、子どもの介護を『子育て』の範疇だと思っている人は多い。)
「社会がまず、障害のある子の親も『ケアラー』なのだと認識することで、親もケアラーとしてSOSを出し支援を求めやすくなるのではないでしょうか」
「日本には『障害や病気の子どもの面倒は親、特に母親が見るもの』という根深い社会通念がある。医療や福祉の制度も、親が介護機能であり続けることを支援するという前提に立っているが、視点の転換が必要です。」
「『親である』ということは、ケア役割でも介護役割でもなく、子どもとの関係性の中でかけがえのない時間を生きること。そんな営みが守られる支援を望みます。」(児玉真美さん「医療的ケア児の親 苦悩のわけ」朝日新聞2025.4.19夕刊)
当の医師は訪問クリニックの医師だとのことですが、このようなことを言う医者の「訪問診療」を安心して受けられるでしょうか。
このところ介護疲れで、介護者が被介護者を殺してしまう事件がしばしば起きています。この人の言葉は「『親なのだから死ぬまで責任を持てよ』と子どもに責任を負わせ続ける社会は、余りにも当事者達に無慈悲過ぎる」「子供を高齢者介護の負担から解放するために高齢者の安楽死が認められるべき」という主張につながります。それは「PLAN75」(No.397に書きました)の世界です。
こちらのほうが先に現実になりつつあります(No.398「どんなになってもいいから生きていて!」にも書きました)。(2025.08)
日下 隼人