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No.293 夢

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 病院を定年で辞めてから5年が経ちますが、いまだに病院で仕事をしている夢をしばしば見ます。私が仕事人間だったことの証なのかもしれませんが、「病院での医者を続けていたい」という思いが心のどこかに生き続けており、夢がその思いを「補償」してくれている可能性のほうが高いと思うようになりました(今も細々と医者の仕事はしていますし、定年を機に病院勤務を辞めるという選択は全く間違っていなかったと思っていますが)。そう考えると、仕事の夢も楽しめます。どんなに嫌なことでも目が覚めれば解消していますし、「責任を負う」必要もありません。
 そう言えば、病気になった人が寝ている間に見る夢について、私はほとんど考えていなかったことに気がつきました。病気になった人は、夢の中では元気な時のように颯爽と走っているかもしれませんし、バリバリ仕事をしているかもしれません。家族や親しい人と楽しい時間を過ごしている夢のこともあるでしょうし、昔の思い出が蘇って嬉しくなっていることもあるでしょう。
 一晩眠ったら元気になっていたというような経験をこれまで何度もしていますから、目が覚めてから意識がはっきりするまでの間、何か良いことが起きていないかと期待して自分の身体を探るかもしれません。
 だからこそ、覚醒して現実が変わっていないとわかった時、その落差に「落胆」します(逆補償夢=悪いことが起こってしまう夢を見たときには、ホッとするのですが)。

 未来への期待・願望としての夢を人に語ることはできますが、寝ている間に見た夢を人に語ることはしにくいものですし、それに、しばらくするとどんな夢を見たかさえ忘れてしまいます。朝、病室に入っていった時に、患者さんとそんな話ができると患者さんの心の奥が見えてくるのかもしれませんが、医者にはきっと難しい。患者さんにしてみれば、医者がそのような「夢物語」に耳を傾けてくれるとは思わないでしょうし、「言っても詮無いこと」と思うでしょうから、たいてい話してもらえません。それに、朝の診察の時に夢の話を尋ねる医者はやはり少し「変な人」です(「変な人」だからこそ深くつきあえる、ということはありえます)。医療者の「下心」が読まれてしまうかもしれませんし、「心への過剰な介入」と受け取られるかもしれません。
 夢の中で医者に訪ねたいことを思いつくこともあるでしょう。夜の闇は、人を不安にします。病室で夜を過ごしている間に、いろいろな不安が膨らんできます。いろいろなことを考えて眠れない夜を過ごしているかもしれません。
 朝、患者さんが話す言葉の奥には不安と落胆が広がっています。「さあ、今日一日仕事がんばらなくちゃ」「あれとあれを早く済ませなくちゃ」と思っている医療者との出会いは、「喜ばしい」時間ではありえないのです。

 私は、今でもずっと昔に亡くなった患者さんの治療にあたる夢をみることがあり、そんなとき夢の中で「今度こそ、うまく治療をしよう」と思うこともあれば、「今度もだめか」と思っていることもあります。先日、20年以上前に重症の神経疾患のために寝たきりになったお嬢さん(もう30台半ばになっておられます)が元気に走っている夢を見て、驚き、心が沈みました。そのような夢をご家族はなんども見ておられるのでしょう。(2018.03)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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