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No.332 模擬患者はもう不要?

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 今年の医学教育学会のあるセッションで、「AIが進むと『問診』も『身体診察』も機械がしてくれるから、OSCEの模擬患者は要らなくなる」という意味の発言(「模擬患者さん、ごめんなさい」という上から目線の言葉だった)をする人がいて、会場の笑いを誘っていました。続けて「BSLは必要だ」とも言っていたので、医療面接は情報収集の手段としか考えていないのでしょう。このように考えてしまう背景には、臨床実習前(pre-CC)OSCEに加えて、臨床実習後(post-CC)OSCEまで全大学で行われるようになるにつれ、模擬患者の活動がOSCEに収束せざるをえなくなってきていることにあります。OSCE以外に医療面接演習を行う大学もありますが、情報収集の巧拙を中心に指導する教員は少なくありません 1)。学生や若い研修医はOSCEのお蔭で患者さんに挨拶し自己紹介できるようになってきています。学生は成長しているのに、教員は退歩しているのかもしれません。
 医療現場で医師が初めて患者さんと面接する目的は、情報収集よりはお互いの信頼関係を生み出すことではないでしょうか。信頼関係が生まれなければ、情報は手に入りません(患者さんは、情報を開示してくれません)。どのようにすれば、患者さんに「良い先生そうでよかった、いろいろ相談してみたい」と感じてもらえるかということを、AIで伝えることはできません。OSCEだからといって、そのことが評価されなくて良いはずがありません。
 「AIが進むと・・・」と言った人は、どの患者さんも画面に向かって情報を過不足なく話してくれると思っているのでしょうか。患者さんは医者とのやり取りを通して話すことが変わります。もっと話しても良いと思うこともありますし、話すことをやめてしまうこともあります。自分ではぜんぜん気が付いていないことについての話が「引き出されてしまう」こともあります。確かに「何も話したくなくなる」ような医者に対してよりはずっと多くのことを話してくれるでしょうが、信頼関係が生まれようがない機械に大切なことは話さないでしょう。銀行のCD機でお金を引き出すのとはわけが違います(お金の引き出しだけなら、私もCD機のほうが良い)。笑顔も言葉の表情もない機械に話しているうちに「この病院に来てよかった」と思うようになることはありませんし、機械が「それは大変でしたね」と言ったらホラーです 2)。「この病院で治療を受けたい」と思うか否かも、最初に出会う医師の雰囲気によります 3)
 AIについての発言者と同じ大学(実は私の母校です)から「医療面接は医学生にとって重要な診療技術である。事前に医療面接ビデオを視聴して実習する反転授業」が効果的であるという内容の演題が出されていました。医療面接を情報収集のためのものと考え、「効率」を重視するのは、この大学の体質なのでしょう。効率を優先することと教育とは相容れないはずなのですが。

 中井久夫さんは、ドレイファス兄弟の提唱する技能習得モデル 4) について、医者は知らないと「嘆いて」おられました。ドレイファス兄弟は、人工頭脳は第3段階までしかやれないとしているそうです(医学界新聞2001年4月16日)。

(1) 第1段階(ビギナー):「文脈不要の要素よりなる,文脈不要の規則に従うスキル」である。自動車運転でいえば,アクセルとブレーキ,ギアの入れ換えの規則である。この規則は,文脈(コンテクスト,前後関係)によって変わらない(コンテクスト・フリー)。
(2) 第2段階(中級者):「状況依存(コンテクスト・デペンデント)の要素」を加えた規則に従うスキルである。雨に濡れた路面を夕方走るときにはどうするか,といったスキルである。
(3) 第3段階(上級者):熟練が進んで,要素の数がミラーの法則をこえて増したときに,これに優先順位をつける能力を加えたスキルである。すなわち,状況をつくっている要素を組織し,目的を明確に意識して,優先順位に従って,これを処理するスキルである。
(4) 第4段階(プロフェッショナル):直感的に全体が見え 5),将来が見通せ,タイミングを選んで,最良のときに,最善の方法で対処できるスキルである。これは過去の経験の蓄積をからだが覚えていることである。運転でいえば,とっさの状況にたいしてからだが動いて危険を回避するように処理できるスキルである。とっさの状況が解消すれば,第3段階に戻って的確に処理できる。コンピュータ化された航空機でいえば,自動操縦装置が任務を放棄する状況である。とっさに手動に切り換えて,危機を脱しなければならない。
(5) 第5段階(エキスパート):この段階では,スキルは身について,意識的に判断しなくなる。運転でいえば,車と一体になり,車を動かしているのではなく,車幅感覚をもって自分が移動しているという状態である。歩行ではほとんどの人がこの状態に達している。このときには流れに乗っている(フロウ)という感覚と,乗馬で「鞍上人なく,鞍下馬なし」といわれる無我の状態に達している。日本では,技能者に「何々の神様」といわれる人がたくさんいるが,そういう人の境地である。

スキルの5段階は,技法(テクニック)-戦術(タクティック)-戦略(ストラテジー)という,目的の3階級と関係している。

 学生がOSCEでできるのは第2段階あたりまででしょうが、AIができない第4,5段階について教える側が気にしていなければ、教育にはならないでしょう。
 学会の別のセッションで聖隷福祉事業団顧問の清水貴子さんが、「会場に来るバスの中で、3人の高齢の女性が『今の医者は身体に触らない。昔は手当てという言葉があったのに・・・』(京言葉だったのでしょうが)と話しているのを耳にした」という体験で話を締め、会場から大きな拍手が沸き起こっていました。この話を、AIについて発言した人は聞いていてくれたでしょうか。この学会が混然としていることは今も昔も変わりませんが、AIについての発言があった時に起きたのは失笑であったことが、せめてもの救いでしょうか。(2019.09)

1) 大学での医療面接演習でも、全員にその機会を与えようとするために一人あたりは10-15分程度の演習になってしまっています。武蔵野赤十字病院の研修医オリエンテーションでは、面接とディスカッションを合わせて1事例について45-50分くらいかけているのですが、これくらいの時間がなければ十分なディスカッションはできないと感じています。研修医たちのいろいろなコメントを聞く都度、若い人たちへの信頼が増しています。

2) 患者さんに病気の説明をコンピュータのように「淡々と」行い、「癌です」と無機的に告げる医師が少なくないのは、時代を先取りしているのかもしれません。

3) それともAIが進むと、患者の表情や語感を読み取り、応答する言葉を変えるようになるのでしょうか。患者の認知レベルや社会性も読み取って、対応してくれるのでしょうか。

4) ここでは、プロフェッショナルよりエキスパートが上位に置かれています。プロフェッショナリズムについて語る人たちは、この順序に賛成しないかもしれません。でも、プロフェッショナリズムは意識して求めていくものであり、エキスパートは習慣化・自動化された無意識のものであるとしたら、エキスパートを上位の段階とすることには一理(二理?)あると感じました。

5) エキスパート以外の段階では、直観より論理的思考を優先すべきであると言われています。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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