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No.303 謝罪

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 ほんとうは謝っていない「謝罪」が話題です。
 すでに多くの人が指摘していることですが、「誤解を招いたのであればお詫びします」「不快な思いがしたのであればお詫びします」という言葉は、謝っているようで「誤解した」「勝手に不快になった」お前が悪いと言っています。「一応、謝っておいてやるよ」です。
 「誤解を招くような表現をしてしまった」「言葉が足らなかった」というようなものもあります。過失を「表現」や「言葉」といった「些末」なものに押しつけ、自分は本質的に間違っていないと主張しています。その言葉を使うに至った(つい使ってしまった)ことに、その人の本心が表れていることはもうバレてしまっているのに。
 「ご心配とご迷惑をおかけした」という言葉なども、ちょっとずれていると思うこともありますし、「それだけでおしまい?」と思うこともあります。

 No.301で紹介した写真家・幡野広志さん(註)のノート(ブログ)の、ある日の表題と書き出し部分を引用してNHKの「やらせ取材」批判のツィートを書いた人がいます。幡野さんのノートにはそのような内容が書かれていなかったので(ご本人もツイッターでそのように言っています)、「これでは幡野さんがNHKを批判しているような誤解を与えるので訂正する方が良い」と忠告した読者がいたのですが、「私は幡野さんのファンです!私が幡野さんを批判しているかのようにとる人がいるので驚いています。私のツイートは彼の文章の一部から思ったことを書いただけで、彼の書いた文章の趣旨とは全く関係ありません。代替医療を売りつけられる当事者の問題として広く読まれて欲しい素敵な文章です」と当人が書いているのを見て、私は驚いてしまいました。「リテラシーが低い人がいる」と他人に責めを負わせ、自分が迷惑をかけた人を盾にして居直っているとしか思えませんでした。ファンは、きっとこのような原稿を書かないでしょうし、このような弁解をしないでしょう。私の中では、この人がこれまで書いてきたものの価値が急に下がってしまいました。

 でも、私も同じような「謝罪」をこれまでしてきているかもしれませんし、これからもしてしまいたくなるでしょう。なんとか自分を少しでも「悪くない」ところに置いておきたいと思うのが人の常です。そのような匂いを相手の人は必ず感じ取りますし、そのとき相手の人は、謝罪が心からのものでないこと、それどころか謝罪しているようでこちらを責めていると必ず思います。医療者の謝罪が患者さんに受け入れてもらえないことは少なくないのですが、そうした医療者の下心が察知されて受け容れてもらえなくなっていることも少なくなさそうです。(2018.08)

註 幡野広志「溺れる人に藁をつかませる人」から抜粋
 「ガン患者が自殺するのは、痛みだけではなく、希望と仕事を失い絶望と孤独しか残らないからだ。それが僕のガンだった。こんな状態のときに散弾銃と実弾なんて所持しているものじゃない(註の註)。12月末にブログでガンを公表してから大量に代替医療と言う名のインチキ療法と食事療法と宗教の勧誘がきた。“子どものために、奥さんのために”“絶対に良くなるから”という一番弱いところをついてくるから、正直なところこちらも心が揺れた。
 お見舞い電話に悩まされた。電話が鳴り止まなくてiPhoneが作動しなくなった。電話の内容は勧誘もしくは安易な励ましだ。それも何年も連絡をとっていなかった人からくるので、相手の身の上話まで聞かされる。
 ガン患者はガン以外で苦しめられるという事実をガン患者になって知った。闘病なんて言葉があるけど、これはガン細胞と闘うだけじゃない。味方であってほしいはずの友人や親族、足並みを揃えるべき家族や医療従事者とすら、場合によっては闘わなくてはいけないのだ。」

註の註
 幡野さんは狩猟家でもあるので、そのブログやツイッターには仕留めた動物の写真を掲載していました(私は血を見るのも殺された動物を見るのも得意ではないので、そのような部分は見ないようにしています)。そのため、「肉食反対活動」をしている人から「ガンになったのは狩猟をしてきたことの報いである」というリプライが送られてきたそうです。他人に言われなくとも、人は自分が重い病気になった時になにかに原因を求めたくなります。「何も悪いことをしていなかったのに、こんな病気になって」「○○の報い」「あれが良くなかった」などという言葉が今でも聞かれます。全くの偶然のことと思うより、何か原因らしいことを探し出すほうが救われることがあるのも確かです。嫌いな政治家が病気になると「悪行の報い」と言う人がいます。でも、このリプライは理不尽ですし、「人喰い」的です。幡野さんにリプライしてきた人は非科学的な因果応報を信じていたというよりは「嫌み」を言いたかったのでしょうが、せっかく活動をしているのに「報い」というような言葉を使うことは自らの活動の価値を下げてしまいます。
 幡野さんも書いているように「善意」からも同じような言葉がかけられます。がんの患者さんに、「知り合いもがんで亡くなった」話をする人、自分語りばかりする人、人生訓や他の患者さんの感動話をしてしまう人、縁起でもない話(亡くなった後の準備)をしてしまう人、悲劇の美化と合理化を語る人、宗教や民間療法のあっせんをする人、自己責任について述べる人(「もっと早く・・・しておけばよかったのに」「あれが良くなかったのではないか」)。
 病いをめぐる物言いの中にあるトゲ、患者さんへの「慰め」の言葉の中にあるトゲを見過ごさないようにしていたい。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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