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No.369 「クソどうでもいい仕事」

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 「ある大きな病院へ行くと、電子化が進んでいて、医師をはじめとした病院関係者と話をしなくても会計を済ませ、病院を後にするというのです。その方は本当にこれで良いのか?と。病を抱えている患者は不安感をもって病院に駆けつけます。ある面、安心を得たいのです。それが電子化とともに、双方向のコミュニケーションがなくても済むと。サービスの無人化と自動化が、一段と加速しています。この病院関係者の習慣が怖いのです! 知らず知らずのうちに陥ってしまっていることに気づいていないかもしれません。礼儀や節度まで退化させかねない状況かと思います。また、患者の求めを察知して求められる前に応じる力や患者が潜在的に願望していることに対応できないことも考えられます」と、あるツィッターに書かれていました。コロナのこともあり、オンライン診療が認められるようにもなりました。時限的な措置とされていますが、どうでしょうか。期間としては短くとも、その間に患者さんとの関わりの質が劣化することは十分にありうることです。

 この10年余りの間、ほとんどの学会の大きな仕事の一つは、診療ガイドラインを作ることでした。その結果、ガイドラインの数は急速に増加し、自分の専門領域に限ってもすべてのガイドラインに通暁することは大仕事になりつつあります。ガイドラインには大量の参考文献が掲げられていますが、まあ、目を通さなくとも良いのでしょう。診療に関するマニュアルもいっぱい出来ました。
 ガイドラインには、問診をするうえでのチェックリスト、診断や治療アルゴリズム(問題を解決するための手順)、具体的な検査法や標準的な治療法が詳しく書かれています。第一選択の治療がうまくいかなかったときの次の手=次の治療も書かれています。
 確かに病院(医師)ごとに診療が大きく異なる(ばらつく)ことは好ましくないのですが、ガイドラインから少し外れることさえ、それを作成するようなポジションの医師以外には難しくなっていそうです。大学病院や専門病院以外の医師の仕事はガイドラインに忠実に従って診療をするだけのことになりつつあります(あれこれと頭を悩ませなくても済みますが、ガイドラインを外れたら怒られてしまう危険もあります 1))。ガイドライン通りに診療してもうまくいかなければ専門病院に紹介すべきとされ、紹介すべき場合についても詳しく書かれています。新たな治療法を試みることができるのも、そのような病院だけとなります。
 問診上のチェックリストには、症状や疑わしい疾患ごとに尋ねるべきこと・確認すべきことが明記されていますから、医療面接もそれに従って尋ねていれば手落ちがありません(用意された質問以外の問いはすべてスルーされてしまうという「手落ち」には気づきにくいものです)。それならば、AIのほうがずっと上手にしてくれそうです。そして、その得られた情報を踏まえて、必要な検査やガイドラインに沿った妥当な治療をAIが提示してもくれるでしょう。薬用量や投与方法の間違いなどということもなくなるはずです。
 身体診察をしなければわからないことがないわけではありませんが、それもAIの診断を進めるための資料、AIの判断を確認するための資料でしかなくなるのではないでしょうか。そうなれば視聴診や触診も通り一遍のものとなってしまい、患者に触れることからますます遠ざかりそうです。手術も、ロボット手術のほうが信頼性・安全性が高いと喧伝されています。
 これで残されるのは、医療者と患者との付き合いのはずです。でも、「人と人とのつきあいが診断の基礎であることは変わりない」(ダニエル・オーフリ『患者の話は医師にどう聞こえるのか』みすず書房2020)と、今でも言い切れるでしょうか。それこそ、ニッチなものに過ぎなくなるのではないでしょうか。ニッチ(すきま)なのだから、それを無視してしまう人も出てくるでしょう。医療面接がチェックリストの確認やAIの指示する追加質問の聞き取りとなれば、患者さんとの「余分な会話」は必要ありませんし、「ほかに言い残したこと」を聞くことも忘れてしまいそうです(言われても面倒だし)。付き合いだけがマニュアル化から逃れることはありえません。
 「(AIは)医師が専門的知識と常識と論理と倫理観に基づいて診断をするうえで必要となる『探し物』を手伝っているにすぎません」という新井紀子の言葉(『AIvs教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社)に対して、北中淳子の「しかし、『データ』となった時点で、まるで中立的で科学的なものと勘違いされてしまう」(「絶望のデータ化」現代思想49-2 2021)という危惧のほうが現実を捉えていると思います。言うまでもないことですが、人間の仕事に対する姿勢がAI的になってきているからこそ、医療のAI化が進むのです。

 ふつうの(ガイドラインを作成するような専門医以外の)医師の仕事は、チェックリストに従って症状や訴えを確認し、それを基にガイドラインが「指示」する診療を進めていくことになります。まるでベルトコンベアのスイッチを入れ、その流れに滞りがないかを確認するだけの労働者のようです。そのことは、医師の仕事が「クソどうでもいい仕事」(デヴィッド・グレーバー 『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店2020)化していくことでもあります。仕事の「主要な」部分が「クソどうでもいい仕事」になれば、患者さんとの付き合い(コミュニケーションを含むすべてのケア)が巻き込まれて「クソどうでもいい仕事」のレベルに陥ってしまう可能性のほうがずっと高い。
 グレーバーは、このような状況に対して、ケアが見直され、ケアが生きがいを支えることになる可能性に希望を見出しています。
 「仕事はますます『生産的』労働とみなされているものから遠ざかる一方、ますます『ケアリング労働』に接近しているということである。というのも、機械に代替されることが最も考えにくいことがらからケアリングは構成されているからである」。でも、「自動化が進めば進むほど、実質的な価値が仕事のケアリング的要素から生じていることがますます明らかになるはず」だとしても、大学病院・専門病院の医師は遺伝子医療や分子生物学の研究に多忙です 2)。市中病院の医者だって日々の業務に追いまくられています(特に急性期病院)。そうなると、AIのおかげで時間が浮いても、それを患者さんとの付き合いに回そうとするよりは、「満足を感じられる仕事」(や趣味)に時間をかけるでしょう。患者さんとの付き合いが「主要な」「満足を感じられる」仕事だと考える医師は多くはありません。時間が浮いたので患者さんとつきあおうと思ったとしても(ほんとうに付き合おうと思う人は、そのための時間を捻出するもので、時間が浮くのを待っていたりはしませんが)、そのころにはもううまく患者さんと付き合えなくなっているかもしれません。患者さんへの温かい触れ方も忘れているかもしれません。「礼儀や節度」はまっさきに薄れそうです。患者さんに触れないオンライン診療も、この流れに一役買うでしょう。
 グレーバーはまた、「病院では(きわめて給与の低い)看護師や清掃員こそが、(きわめて高額の給与を受け取っている)医師たちよりも、実際には健康状態の改善により大きな貢献をなしているといえるかもしれない」「有用性と報酬との間には反転した関係がある」と言っています(コロナ関係の補助金が、医師と看護師とで違っていることもその表れです)。グレーバーはケアリング労働に従事する人たちの中に医者を入れていません。(2021.05)

1) 「ガイドライン通りの医療を行わないと専門医や指導医を取り消すという通達があった」という記事を目にした。ことの真偽を確かめてはいないが、「そうかもしれない」と思わせる雰囲気はある。

2) この分野の研究は花盛りで、研究者は世界と競わなくてはならないし、この領域の知識なしに行えない医療の領域がどんどん広がりつつある。花形の研究に没頭することは、もともとお勉強好きの人たちにとっては楽しい。同時に、日々更新されつつある遺伝子医療や分子生物学の極小の世界に関する知識は市民にとってはもう理解を絶したものとなっている(私の理解を絶しているだけで、理解できる市民は少なくないかもしれないが)。そんな世界で仕事を続ける人たちにとって、普通の人に通じる言葉で会話することや、混沌とした人間の気持ちに付き合うことに気を配るといったことは、ほどほどにしておきたくなるだろう。「科学者に限ったことではないが、私たちは自分と似た人たち、自分と同じ言語をしゃべり、同じ問題を抱える人たちと一緒にいるのが一番居心地がいいのだ。」(ジェニファー・ダナウド『クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見』文藝春秋2017 彼女はクリスパーの発見で2020年ノーベル化学賞を受賞した。「優生学の復権か? 遺伝病に苦しむ人たちへの福音か?」と本書の解説にあるが、核兵器の開発と同様、科学の「進歩」に対して歯止めをかけることはできないのかもしれない。(参考 高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学 人間のふりをした悪魔』講談社現代新書2021)


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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