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No.454 「デモの有効性ってどこまであるんだろう」

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 アメリカの大学生たちのイスラエルへの抗議活動を見た若いタレントが、テレビのコメンテーターとして「大学を退学処分になる可能性もはらんでいる中で、デモの有効性ってどこまであるんだろう 1)」と発言したことが話題になり、その言葉に驚いた感想がたくさんツィートされました。
 若い人の“保守化”だと嘆く声もありましたが、日本ではマスコミが情報をほとんど伝えていないことのほうが問題だと思います 2)
 私は全共闘世代の人間なので「退学処分を賭けても、自分の意志を表示するからこそ意義がある」と思いますし、「デモの有効性=結果の○×がすべてではない」と思うので、初めて聞いた時には戸惑いました。大学が処分をしてくるのならば「処分撤回闘争」が当然だとも思ってしまいます 3)

 「費用対効果」「コスパ」「タイパ」という言葉が、日常的に用いられるようになってずいぶん時が経ちました。だから、活動の「有効性」を重視し、「有効性」と「大学生の身分」を量りにかけることは、むしろ自然なのかもしれません。
 それを「こんなふうになっちゃったのか」と考えるか、「その視点も大切だ」と考えるか。「費用対効果」「コスパ」「タイパ」を考えることはある種の功利主義でしょうが、そのような視点を欠いていたことがあの時代の運動の欠陥の一つかもしれません(太平洋戦争の「玉砕作戦」に通じるものがなかったとは言えないと思う)。
 「処分撤回闘争」を必要とする事態を避けるために処分されないように気を付け、規則を大きくはみ出さない範囲内で抗議の意思を表明するというような闘い方、それはそれで正しさがあると受け止めたい。
 ただそれは、「最小限の努力で最大限の効果」を目指して、その範囲内でできるだけのことをいろいろ工夫して実践していこうとする場合に限ります。「こちらのやり方のほうが(も)有効だ。だから自分が率先してそれを行う」と言うのでなければ、「あんなことをして意味があるの?」と言うだけならば、斜に構えた評論に過ぎません。それは結局、パレスチナの事態を容認するだけのことです。

 ベトナム反戦運動の時、べ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)のデモは、普通のデモもしましたが、ジグザグデモもフランスデモも、時には機動隊員に花を渡すフラワーデモもしました。
 「友よ」(岡林信康)や“We shall overcome”などをうたいながら、道行く人にデモへの参加を呼びかけもしました。新宿駅西口広場での反戦フォーク集会も生まれ、私は何度も参加しました。歌うことが好きな私は、いつも合唱コンクールの時のように歌っていました(周りは引いていたかもしれません)。
 規則を大きく逸脱しない範囲でも「いろいろな工夫」は可能なのです。

 「市民は発見したんです。そもそもデモとは、圧力や破壊行為ではなく、たくさんの人にさまざまな意見があることを示す行為だということを。政治は国民が参加するからこそ、前に進める」(オードリー・タン) (2026.02)

1) 実際に学生たちの運動がアメリカ政府の方針に影響を及ぼしました。

2) 竹田ダニエル「学生デモとパレスチナ」(群像2024年7月号)にこのような事態が生じてきた背景が書かれています。これを知っていれば、あのようなコメントは出てこないでしょう。事態(国内の事件も含みます)の背景についての情報を伝えなくなってきている日本のマスコミ、そして経営のために産学官連携などを迫られている日本の大学にも同じような危機が迫っていると思います。

3) 大学でのバリケード闘争(東京の街中を歩いていると、どこの大学でもバリケードが作られていた)や座り込み/ハンガーストライキ、ベトナム反戦運動(たくさんの大学に「大学べ平連」ができていた)を日常的に経験した身としては、「昭和は遠くなりにけり」です。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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