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No.394 「冷静な判断」

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 先日、元日本医学会長の高久文麿氏が亡くなりました。その最後の日々について、長男の高久智生順天堂大学准教授が話しておられます。(m3m医療維新 2022.5.4)
 「治療方針も含めて、父は全て私に任せてくれていました。ですので、私にとっては専門外のことばかりでしたが、○○病院の○○先生をはじめ、さまざまな疾患の主治医の先生とまず私が相談し、入院や手術が必要になればその理由を父に伝えていたのですが、いつも『分かった、お前が言うなら』と応じてくれました。
 ただ、私は血液内科医として長年、多くの患者を診療し看取ってきましたが、家族の病気と向き合うとなるととても難しいことなのだと感じました。『たとえどんな状況でも生きていてほしい』という気持ちがどうしても働いてしまいます。例えば点滴一つにしても、実際には苦しい時間を延ばすだけであると頭では分かっていても、『もう少し栄養のあるものにした方がいいんじゃないか』など、医学的に冷静な判断ができなくなってしまいます。
 最後に入院したのは、今年の2月です。いったん退院したものの、食事を喉に詰まらせて再び入院。CTを撮影したら、がんは大きくなっていました。おそらくあまり残りの時間がないと考え、『父が望んでいるから家に戻してあげたいんだけど』と妻に相談したら、『私も戻してあげたい』と言ってくれましたので、急いで父を迎え入れる準備をし、少し熱が落ち着いた3月12日に退院したのです。
 特にこの2年間はいつも父のことが心配で、心が休まる日はありませんでした。私の妻は看護師で消化器内科での経験があり、父のみならず母の看護と介護の主体は妻でした。父と同居した1年間のうち、数カ月は入院しておりましたが、そのほか自宅にいるときはたくさんの方々のお力をお借りしながらも、介護は妻が行っておりました。実際に、両親ともに妻を大変頼りにし、心から信頼していたと思います。父の介護は妻なくしては成り立ちませんでしたし、実の親に接するように献身的に頑張ってくれた妻には、2人の姉も含めて皆が心から感謝しています。」
 「冷静な判断」など誰もできないのですし、「たとえどんな状況でも生きていてほしい」と思う人は必ずいます。「冷静な判断」などという言葉に囚われないでいたい。「冷静かどうか」に関係なく、そのときの判断を大切にしたい。この当たり前の感覚を自由に言うことさえ認められなくなりつつある現状の方が異常なのです。そして、この文章からは、手厚い医療・手厚い在宅介護には恵まれた条件が欠かせないことが改めて思い知らされます。それをすべての人が享受できるはずもないのに、「在宅、在宅」とばかり言われるのもどこか異常なのです。
 「終末期」というのは、決して確実なものではありません。「医療の不確実性を患者さんにも分ってもらわなければ」と言ってきた医者が、終末期については医師の判断(予測)が確実なものであるかのように説明するという矛盾を、児玉真理さんは指摘しています(『殺す親 殺させられる親』生活書院2019/本書は「重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行」という副題がついており、ACP、尊厳死・安楽死、「無益な治療」、「延命」などについて、わかりやすく書かれています)。

 同じm3m医療ニュース(2022.5.3)で徳永進さんは、コロナ下でのケアについて話しています。
 「医療者と、患者や家族とはマスク越しの会話になり、医療者は処置中には手袋、往診時にはフェースシールドをするように。結果、患者の気持ちをくむ、という行為が遠くなりました。『死ぬ前に一度手を握っておきたかった』という患者の願いに家族が応じるような、しみじみとした別れは、残念ながら見られなくなりました。終末期の患者さんは病状が進み、しゃべることができなくなり、コミュニケーションが難しくなっても、いまをどう過ごしたいか、と伝えようとしています。そばにいて、表情をみて、反応をみて、ということを重ねる中で、確かにニュアンスを獲得できることが多いのです。家族とのやりとりも、よき手がかりになります。でもコロナ禍が長引く中、しっくりこないまま時が過ぎていくことが増えました。患者さんや家族の声が遠い。こちらの声も届かない。マスクが持つ、他を自分の内には入れない、自分も相手にはじかには接触しない、という防御の姿勢では、かゆいところには手が届きづらいです。」ACPは、コロナと関係なくこのような状況を日常化してしまいそうです。大きな病院ではもうずいぶん前からこのような事態が珍しくなくなっています。その事態を「在宅医療」でしか回避できないとしたら、その病院医療の改革も必要なのです。(2022.06)


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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