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No.307 「つらい」

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 ある講演会で、障害児を抱えた母親が、「ひとりで抱え込まないでね」「困ったことがあったら、なんでも言ってね」と言われることがつらかったと話しておられました。言葉に出してしまうと、危ういバランスの上で辛うじて保てている自分が崩れてしまいそうだから言葉に出せないのに、と。
 医療の場に限らず、私たちはこのように言うしかないことのほうが多いかもしれません。それでも、この言葉自体が危ういものだということ、言葉に出さない人が困っていないわけではないということを忘れないようにしたい。
 鷲田清一さんが言うように、自分の言葉・言葉を発することで生じうる自分の混乱を「受け止めてもらえる」という信頼のないところで、患者さんが混沌とした思いを話すことはないのです。医療者から言えば、自分の言葉から生じる患者さんの混乱を受け止める「覚悟」ということになるでしょうか。実際にその「混乱」を目の当たりにすれば私などはうろたえてしまうのですが、それでも患者さんを「問題のある患者」というように捉えることだけはしないでおきたい。
 つらいときに「つらい」と声をあげられる環境を用意し、その声を聞いたときには余計なことを言わずにそばに居ることができれば、それがケアです。黙って耐えている患者さん、医療者の「意に沿う」ような言葉を選んで話しているかもしれない患者さんのことを、「頑張っている」「気高く生きた」というような美談として語ることには、医療者の自己満足と自己慰撫がつきまといます。
 「オレも脳出血したからなんとなくわかるけど、一度身体壊れると完全に調子が狂う。周りから『後遺症もなくてよかった』って言われるけど、それは精いっぱい隠してるからで、健康だった時と色々違う。だから周りで身体壊した人がいたら意外と大丈夫じゃないかも、がんばって普通を装ってるだけかもよ。」(あるツイッターから)(2018.10)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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