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No.294 「大丈夫よ」

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 30年以上も前のこと、若年性関節リウマチの患者さんがDICを起こしてしまいました(現在では、若年性特発性関節炎の経過中にマクロファージ活性化症候群を発症した、ということになります)。朝、エレベータを降りた私に「先生、うちの子が・・・」と駆け寄ってきた母親の顔は今でもはっきりと浮かびます。すでに当直医や若い医師が治療に当たっていたのですが、エレベータホールで私を待っておられた「時の長さ」に心が痛みました。
 ICUでの3日連続の血漿交換を含む集中的な治療の結果、彼女は軽快しました。その後で、指導的立場にある看護師から「あのとき、私たちに『大丈夫ですよね』と言うお母さんに、〇〇さんが『大丈夫よ』と繰り返し言っていたんです。でも、症状はとても大丈夫とは思えなかったし、私はそんなことは言えませんでした。先生はどう思います?」と尋ねられました。そこには「無責任なことは言えない」「かえって信頼が損なわれる」という彼女の思いを感じました。「大丈夫ですよ、先生も頑張ってくれるから」というような言い方もしたくなかったのだと思います。その時、私も同意して聞いていた記憶がありますが、それ以来ずっとこの時の会話が気になっていました。
 医学的に見れば「怖い事態になる可能性がある」場合、医者はなかなか「大丈夫ですよ」とは言えないものです。せいぜい「出来るだけのことをしますから」「病院の総力を挙げて治療します」と言うしかありません。危急の事態では、その対処は医療者が一手に引き受けるしかないのですから、「一緒に頑張りましょう」と言うわけにもいきません(医療者が一手に引き受けなければ、患者さんが辛すぎる)。
 しかし、危機的な状況の中で医療者に求められている言葉は、認知的な正しさ・正確さのレベルのことではないと、今にして思います。患者さんが聞きたいのは「大丈夫」という言葉であり、そう言ってくれる人がそばに居てくれることではないでしょうか。患者さんも「ほんとうは、医療者は大丈夫とは言えないはずだ」とわかっているはずです。無理をして「大丈夫」と笑顔で言っているということも、わかっています。後になって「『大丈夫』って言っていたのに、違ったじゃないか」と言われることがないとは言いませんが、それとても多くの場合は防衛としての「置き換え」によるものです。
 「大丈夫」という言葉には、応援のエールであり、味方であることの決意表明の力があると思います。とはいえ、医師が医学的な根拠抜きに「大丈夫」と言うことは無責任の謗りを免れませんから、この場合の医療者は医師以外(主に看護師)ということになるでしょうか。
 「大丈夫」と言ってくれた人と「大丈夫」と言えなかった人との、どちらとつきあいが深まるかは、それまでのつきあいとそれからのつきあいによることであり、「大丈夫」という言葉の有無とはきっと関係がありません。そして、「無理して『大丈夫』と言ってくれた人」「嘘をつくことはできないと、悲しそうな顔をしながら言わなかった人」のどちらもが、患者さんを支える人になりえます。
 経験を積んだ人の「大丈夫」という言葉のほうが、新人のそれより少し「頼りがい」がありそうなのは仕方ないことです。逆に言えば、「経験を積む」ということにはこのような効用しかないと思いますが、そのことだけのためにでも経験を積むことには意味があるのです。

 それからずいぶん時間が経った夜の病室で、元気になった子どもの寝顔を見ながら母親が話してくれました。
 「大変だったこの子には悪いけれど、入院して、いろんなことがあって、そのおかげでずっと友だちでいてほしいと思える人に会えて本当によかったと思っています。この入院ではたくさんの人に支えてもらいました。何人ものすてきな看護婦さんに会えました。こんな人たちがいるんだなって驚いたし、その人たちにこんなにしてもらうなんて幸運なんだなと思いました。この子があのひどかった夜、看護婦のUさんが集中治療室に来てくれて、私が泣いているときに一緒に泣いてくれたんですよ。何度も来てくれて、ずうっとじっとこの子を見ていてくださったりして・・・。ほんとうに支えられましたし、かけがえのない人に会えたと思います。」Uさんは1年目の看護師でした。「ずっと友だちでいてほしいと思える人」の中には、同時期に入院していた他の子どもの母親も含まれています。
 支える力は、経験年数に比例するものでもありませんし、専門職の専有物でもありません。(2018.03)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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