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No.401 頭を下げる経験

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 NHK朝の連続テレビドラマ「舞いあがれ」61回では、主人公の父/螺子制作会社社長の岩倉浩太が急病で入院します。その回診場面で、

医者「この分なら、明日退院できそうですね。ですが、様子を見たいので、定期的に病院には来てくださいね。」
浩太「はい!」
医者「それでは、お大事に。」
めぐみ(浩太の妻)・舞(娘/主人公))「ありがとうございます。」
浩太「ありがとうございました。」
めぐみと舞は、立ち上がって、出ていく医者の背中に深々とお辞儀をします。

 私は、現場にいた時、患者さんからお礼を言われ頭を下げられている(それなのに、こちらは会釈程度にならざるをえない)自分の位置がとても居心地が悪くて苦手だったことをあらためて思いだしました。「私は何様?」とどこか「いたたまれない」ような気持ちでした。このようなことも、「自分のしていることを「外」から見てみる」(No.117に書きました)ことがなければ、気が付きにくいものです(外から見ても「それがあたりまえ」と多くの医者は思うのでしょうが)。最近では私も患者として医者に会う機会が多くなり、お礼を言う立場になりました。もちろん、めぐみや舞と同じような態度を心がけ、言い方にも気を遣っています 1)
 62回では、不況のため退職してもらうパート職員が退出するのを見送る際に、浩太はその後ろ姿に深々と頭を下げます。63回では、リーマンショックで工場経営が上手くいかなくなったため、浩太は新たな注文を取るため取引先の社員に深々と頭を下げ続けます 2)

 医者は、こんなふうに必死に深々と頭を下げる経験は乏しいまま、育ってしまいがちです(医者どうしの付き合いでは、下げることがあるでしょうが)。患者や家族が深々と頭を下げお礼を言うことをあたりまえと思ってしまいます。医療の世界の中で人 3) に頭を下げ続けられてきた人間 4) が、「つらい」状況にある人と心を通わせることは、どんなにその人が善意に満ちていても、至難の業であると改めて思わされました(もう医者に期待することは諦めようかなと、一瞬、少しだけ思ってしまいました)。
 人生は、人に心から頭を下げる経験が多いほど深まるのだと思います。逆に、頭を下げられれば下げられるほど、人間としては駄目になっていきます。だから「先生」と呼ばれるようになると、人はみんな駄目になります(「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」です)。医者の心は意図的に「重し」を確保していなければすぐにふわふわと舞い上がってしまう気球のようなものだから「そんなふうにならないように心がけてね」と私は見学に来た学生にいつも話していましたが、誰か覚えていてくれるでしょうか。
 チャールズ・テイラーは、人はいつも「あまりにも簡単に滑り落ちていってしまう傾向があるすべり坂」(『〈ほんもの〉という倫理』産業図書2004) を生きていると言っていますが、医者の場合どんどん患者を睥睨してしまうことになりがちなので、気球というほうが合っていると思います。医学教育は、そのことを伝え、その思いを医師になってからも抱き続ける志を伝えているでしょうか。そのことを視野に入れない医学教育には欠落があると思います。(2023.02)

1) お礼の言い方にも「作法」があります。作法はその人の生きる世界によって異なり(P.ブルデューの言うハビトゥスです)、お礼が相手の作法に「合わない」こともあります。だからお礼を言った方は「ちゃんと言った」つもりなのに、相手にはそのように受け取ってもらえないということがありえます。医者は、「医者界」に居る人間に共通するハビトゥスを身に付けており、患者さんには患者さんのハビトゥスがあります。自分たちの世界のハビトゥスには無自覚なので、ハビトゥスの違いによって起きているだけのすれ違いから、相手のことを悪しざまに言ってしまうことが珍しくありません。もちろん、患者さんがそのようなことに気を遣う必要は全くありません。ハビトゥスという概念を医者が知っておくだけでも、ずいぶんすれ違いは防げると思います。研修医オリエンテーションで「ブルデューという人を知っていますか」と毎年尋ねるのですが、「知っている」と答えた人はこれまで一人だけでした。

2) 1971年の夏を、医学部5年生の私は大学祭の広告取りに費やしました。その甲斐あって、大学祭の費用は広告収入で賄えました。一夏の連日、製薬会社や出版社を訪ね、ほんとうにたくさん頭を下げ、ひたすら敬語を使ってお願いしました(そのころから、敬語は上手く使えていたと思います)。「大学祭に広告を出しても効果がないんですよ」「お宅の大学は学生運動ばかりしていてねえ・・・」などという言葉も、愛想笑いをしながらかわしていました。「そのていどのこと」ですが、人生で一番頭を下げ続けた1ケ月で、人生経験の乏しかった私には貴重な「修業」でした。

3) この「人」は、患者だけでなく、看護師など他の医療職、事務職員、MRと言われる製薬会社の営業職、病院の仕事を担当する業者などすべてが入ります。私は、先輩医師が年上のMRの人に敬語もなしで(時には命令口調や「脅し」のような言葉で)話しかけ、それがまるで親しさの表われであるかのように振舞っていることを見て、いつも呆れていました。私はMRの人たちとはいつも敬語で話していたのですが、「態度が丁寧すぎるので何か「思惑」があるのかと、はじめのうちは戸惑った」と親しくなったMRの人が後で述懐したことに、また驚いてしまいました。

4) 研修医のそれまでの人生経験の「狭さ」に負うところも大きそうです。武蔵野赤十字病院採用の研修医の出身大学は様々ですが、出身高校は6年制の私立・国立校、県でトップの受験校ばかりで、ブルデューの言う3つの資本に恵まれた人がほとんどです。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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