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No.412 やっぱり言葉はズレる

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 病院で、患者さんには聞いたこともない言葉が押し寄せてきます。普通の人が聞いたこともない病名や医学の言葉が山ほどあります。はじめて聞く「怖い」言葉は恐怖のもとです。聞いたこともない病名や医学の言葉に患者さんは圧倒され、それだけでなにがなんだかわからなくなります。

 「がん」「高血圧」「糖尿病」「めまい」のような言葉は誰もが耳にしたことがあり、自分なりの知識を持っています。でも、今医療者が語っている意味は「その人の知っている意味」とは多少なりとも異なっています。医療者が説明する「感染症」と患者さんが考える「感染症」とは、きっと同じ意味ではありません。「高血圧」「糖尿病」「胃潰瘍」「○○がん」「歯周病」・・、みんなそうです。

 「珍しい病気」「難しい病気」「ダメージを受けて」というような言葉も、医者は「教科書にちょっとしか書かれていない病気」「一工夫が必要(でも僕ならできるよ)」「かすり傷」程度のつもりで言っているのに、患者さんには「難病」「不治の病い」「クラッシュ」といった恐しい言葉に聞こえてしまうかもしれません(どれも、私が直接見聞きしたものばかりです)。逆に、医者の思いとはかけ離れた「軽い」ものとして受け止めてしまうこともあります。

 ここまでは『温かい 医療を めざして』でかきました。でも、「逆に」の話を最近目にしました。

 急性脳症で長女を亡くした母親は、「最初の説明で「脳がかなりダメージを受けています」と言われました。画像も示していただき、部位もよくわかりました。ところが私は、そのダメージは修復されていくものと受け取りました。…心のダメージが時間をかけて回復したり傷を持ったままでも生きていけるように、脳のダメージにもなにか治療が行われるものと期待しました。翌日、「修復にはどれくらいかかりますか」と尋ねて、初めて、脳のダメージは再生しないことを知って相当なショックを受けました」(坂下裕子「深刻な場面における保護者との対話」小児科64.6 2023)

 医者のはじめの説明が「足らなかった」と言えば、そうです。でも、その時点で「もう治る可能性はありません」と言うことが「良い説明」かどうかわかりません。そのように言ったら、きっと説明のすべてが「飛んで」しまっていたでしょう。「都合のよいように解釈している時間は、混乱を鎮めるために必要だったように思います。娘は数日間治療を受けることができ、脳死状態を経ています。・・・・保護者がもちこたえるためにも、わずかでも入院ができることや、脳死には意味があると考えるようになりました。」(坂下裕子:前掲)
 患者さんへの説明は、どのような病気の場合でも、段階を踏んでいくしかありません。だから、説明は一回では済まないのです。「またですか」「前にも言いましたけど」といった言葉は、段階を踏むことの障害にしかなりません。

 この母親は医師の「出来るだけのことはします」という言葉に突き放されたようなきもちになり、「私にも同じ年頃の子どもがいますので、ご両親の気持ちはよくわかります」という言葉に「先生はいいな、家に帰れば元気なお子さんのお父さんなんだ」と思いました。「立場がかけ離れているなかで「同じ」と言っていただくよりも、わが子にとって最強の味方でいてくれることが保護者の一番望むところであるのを感じます」と。

 たとえ自分の子供を同じ病気で亡くした医者であっても、別の人の気持ちは分かりません。子どもを亡くした父親と母親との間で話が通じないという話を、私は何度も聞かされました。子どもを亡くした母親どうしが話しても、すれ違うことは少なくないようです。

 「出来るだけのことをしますから、気になることやご希望はどんな(ささいな)ことでもおっしゃってください」「(どんな選択をなさっても)全力でお手伝いします」と言う医者は味方です。そう言えない主治医など、無用の(もしかしたら有害な)存在ではないでしょうか。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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