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No.320 もやい直し

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 自分の処置によって患者さんに大きな合併症を起こしてしまった若い医師は、家族からそのことを責められ続けることになりました。でも、その医師は、長くなった入院の間どんなに責められても患者さんの病室を毎日訪室し続け、退院の時には患者さんや家族から感謝の言葉をもらったという話を人づてに聞きました。これは、もちろん心理学で言う「ザイオンス効果(単純接触効果)=人が何度も接触を重ねるうちに好感度が増していく心理効果」ではありません。
 No.319で原田正純さんの「本当のもやい直しっていうのは、被害者が手を差し伸べるような条件を作ることでしょ。・・・殴られた方が、『それだけ一生懸命やってくれるんだったら、もう仲直りしましょう』って向こうから手を出してくるなら話はわかる」という言葉を紹介しました。この医師はきっと患者さんからの言葉から逃げずに「医師としての仕事」を誠実に続け、「もやい直し」にたどりついたのだと思います。
 なにか不都合な事態が起きた時に「もやい直し」をしようとする医療者は決して少なくはありません。でも、途中で断念する人が多いのです。「こんなに謝っても許してくれない」「こんなに謝っても理解されない」「こんなに謝ってもなお文句を言われる」と思ってしまうと関係修復を断念することになります。そればかりか、こうした断念はしばしば相手への攻撃に転じてしまいがちです。でも、「謝れば許してくれるはずだ」と思い「許してもらうために謝っている」限り、関係の修復は難しいのです。その下心はかならず透けて見え(言葉の端々に漏れ出し)、患者さんは「手を引っ込め」てしまいます。それはそもそも「もやい直し」ではないのです。
 「許されることはあり得ないし、望まない」けれど、謝罪の気持ちと言葉をすり減らすことなく、医師としての仕事を「淡々と」続けるときにしか「もやい直し」はできないのです。「許してもらうことを期待しての謝罪」はカントが言う仮言命法であり、許されるか否かと関係なく「謝るための謝罪」は定言命法と言うこともできるかもしれません。

 No.12でも書いたことですが、「事故が起きた」とき、それまでのお付き合いの質が明らかになり、その時の患者さんの反応はこれまでのお付き合いの総決算です。それまでのお付き合いを患者さんが不快に思っていれば、どのように「上手に」接しても関係の修復は困難です。
 言葉づかいが悪かった、敬語も使わなかった、態度が悪かった、十分話を聴いてくれなかった、十分説明してくれなかった/説明がわからなかった、質問にきちんと答えてくれなかった、失礼な話し方をされた、思いやりのない言葉/態度だった、インフォームド・コンセントに納得できなかった、強制的に同意させられ選択の余地もなかった、といったことをそれまでの診療の過程で患者さんが感じていれば、事故発生後の医療者の説明は耳に入りようがありませんし、どのような態度も否定的なものにしか見えません。事故後には医療者は言葉遣いを含めてていねいに接するものですが、それまでの態度との「落差」にかえって不信感が増します。
 出会った時からの良いお付き合いは、事故に伴う被害や傷を小さいものに留めてくれます。医療事故後であっても、この医師のように、長い時間をかけてきちんと付き合い続けることで信頼が生まれることはあり得ますが、そのためには出会いのときからの丁寧なお付き合いが欠かせないのです。
 実は、私はこの若い医師を以前から知っています。ことの顛末を聞いたとき、私はこの人ならそうするだろうと思いました。もともと誰ともていねいに接する人でしたから、その患者さんと出会った時からていねいに付き合っており、だからこそ「もやい直し」ができたのだとも思いました。この話を聞いて、私はあらためてこの医師の未来を無条件に信頼できると思いました。(2019.04)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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