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No.329 醍醐味

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 旧知の看護師(80歳台)から電話をもらいました。
 「私は、良い時に看護をしていたと思ったの。せんだって骨折で入院したんだけど、確かにみんな『優しい』のよ。でも、『心が無い』っていう感じなの。笑顔と言葉だけっていう感じで、コンピュータばかりみて、とりとめのない話もできないのよ。私の時代は、あんなふうじゃなかったのに」
 もちろん、みんな頑張っています。笑顔と優しい言葉は以前よりずっと多くなりました。その感情労働に疲れてしまう人も少なくありません。看護師はみんな患者さんの脇にしゃがんで、患者さんより目の高さを低くして話すようになりました(年のせいで、立ったりしゃがんだりを繰り返すことがしんどくなっている私は、それだけでも「大変だな」と感心してみています)。病院としての言い分もあります。医療安全のための細かい手順が定められてしまい、それらに抜けが無いようにと、気が抜けません。早期退院が優先され、親しくなる前に患者さんがいなくなってしまいます。コンピュータ抜きに医療ができません。骨折は、武蔵野では軽症の患者です。そうだけれど、彼女が「ひどいでしょ」と言いたかった気持ちになったことも事実です。
 以前武蔵野赤十字病院に勤めていた整形外科の医師が開業したことを知った時、研修医からも慕われる良い先生だったのにと残念な気がしました。その診療所のホームページに、開業に至った思いが書かれていました。
 「患者さんを、最初から最後までトータルで診たいと思ったからです。初診でどこが悪いのか正確に見極め、その診断をもとに注射や運動療法・物理療法、場合によっては手術で治療し、その後の回復まで見守ることができる。全工程で自分が関われるのは、医師ならではの醍醐味だなと思うんです。ところが、総合病院や大学病院は今、外来診療を縮小する傾向で、勤務する医師は手術が中心になってしまい、本来の醍醐味が薄れてしまうなと感じていました。」
 大学なら、これに加えて研究に時間がとられてしまいます。このような医師に対しても、「臨床が良くできる先生はサイエンスがしたくなる」という言葉だけが投げかけられてしまうのでしょうか。地域医療・在宅医療の充実が謳われていますが、その魅力や意義(醍醐味)について大病院で学ぶ機会も経験する機会も少なくなれば、その道に飛び込む若い医師はさほど増えないでしょう。医師間の溝が開いていくばかりでないと良いのですが。(2019.07)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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