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No.377 感動が足らない

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 「あの患者のために一生懸命やってきたのに、どうして文句を言われなければならないの(責められるの)」と思う場面に、たいていの医療者は何度か出会います(もちろん、医学的な手落ちはない場合のことです)。
 医療者はみんな患者さんのために働きたいと思っていますし、頑張っています。それだけに、患者さんから感謝されると「嬉しく」なります。そのつど、自己肯定感が増し、承認欲求が満たされます。でも、そこには落とし穴があります。感謝されることが続いているうちに、感謝されないと違和感を抱き、不快になります。「文句を言う」患者に対しては、その患者の人間性に問題があると思ってしまう医療者も少なくありません。
 医療がしていることは、多かれ少なかれ患者さんの人生に外部から介入する「侵襲的」なことであり、その意味で医療者は権力的な存在でもあります。そのことに患者さんは誰もが、多少なりとも傷つきます。他人の人生を左右してしまわざるをえない仕事をしているのに、自己肯定感や承認欲求が満たされる「感謝」を期待してしまうのは本来「筋違い」なのだと思います。
 「頑張っているはずなのに喜んでもらえないのは、きっと何か感動が足らないと思った」クリーニング店主は、難しい染み抜きに挑戦し「染み抜きエキスパート」になりました(NHKニッポンぶらり鉄道旅)。頑張っているのに患者さんとうまくいかないのは、「何か感動が足らない」からだということが、医療の場でもあるのではないでしょうか。その感動とは、難しい手術が上手いという場合もあるでしょうが、日常的には「良い先生(看護師)に会えて良かった」「良い病院で良かった」と感じてもらえるということだと思います。挨拶がきちんとできて、患者さんの話を丁寧に聴いて、患者さんに通じる言葉で話そうと努力する姿勢が見られれば、それだけで感動してもらえます 1)。感動してもらえれば、その姿が私たちの存在を肯定してくれます。「良い病院」とは、良い医療者と出会えた病院のことです。そうした出会いは、医療行為の場面だけでは足らないのです。「考えてみれば、ホテルでも美容院でも飲食店でも、その場所に入る時から出るまでの流れが大切です。ホテルの宿泊する部屋以外や、美容院で髪を切ってもらう以外の時間、飲食店での食事以外のサービスがあるからこそ、メインの良さが引き立つのだと思います。」(星野概念「「ヤッター」の雰囲気(12)」群像76-3 2021)病院管理者には、この感動は見えにくいものです。

 「感動」は、患者さんと医療者との関りの中で生まれます(感動が生まれるときには、きっと双方が同時に感動しています)。医療は患者さんと医療者との共同作業ですが、患者さんは「良い人だ」と実感できた医療者としか共同作業をしようとは思いません。
 「臨床・制度設計・研究・教育などの様々な営みにおいて、患者・市民参画の重要性が認識され、その実践が広がりつつある。患者・市民はヘルスケアの受け手であるだけでなく、医療費や保険料を支払うことで医療制度そのものを支えており、その意向は無視できない。また、保健医療福祉の従事者だけで考えていては気が付かなかったサービスの改善のためのアイディアを、患者・市民が自らの経験や知識、市民感覚に基づいて提案することもある(傍点:引用者)」(熊倉陽介「精神医療の官僚制と民主制・序説」現代思想49-2「精神医療の最前線」 2021)というだけでは「足らない」のです。「患者の意向が無視できない」のは当たり前です。でも、患者とは医療者の気づかないことを提案するだけの存在でしょうか。筆者も、これだけではまずいと思ったのか、次のような文章を続けます。
 「共同創造とは、医療や福祉などのサービスを利用する人(患者・市民等)が、自身の利用するサービスの設計・規格や提供に対して、従来のサービス提供者と対等な立場でともに関わることを言う。サービス利用者とサービス提供者が、互いの存在を、サービスの向上のために重要なパートナーであるとみなしている関係性の中で、共同創造は可能となる。共同創造によって提供されるケアや関りは、・・・サービスを利用する人が望むものが反映されたサービスになっていくことに寄与する。・・・患者・市民は単に相談される存在ではなく、立案、設計、実施、サービス管理の一員となる。」
 とは言え、本当につらい時に、「共同創造」ってしんどくはないでしょうか。それは元気な人や少し落ち着いた時に任せて、とりあえずは一緒に「落ち着いた」(時には「楽しい」)時間を過ごすことができれば、そしてその中で患者さんの希望やこれからの方向について穏やかに話し合えれば、共同作業としては十分なのではないでしょうか。「どうしたら、感動してもらえるか」と考え続ける医療者の姿勢は、共同作業を進めていくことに「役に立つ」と思います。こんな時代だからこそ、こうしたことを考えておかなければ、コロナが終わった後、病院は焼け野原になってしまうかもしれません。(2021.9)

1) 「共感の訓練という名のもとに医学部で教えられていることのほとんどは、患者の言うことに耳を傾ける、診察には十分な時間をかける、患者に敬意を払うなど、否定できるようなたぐいのものではない」ポール・ブルーム『反共感論 社会はいかに判断を誤るか』白揚社2018


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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