メインビジュアル

No.448 『患者と目を合わせない医者たち』(2)

コラム目次へ

 精神科医(九州大学教授)であった前田重治さんは、落語家の三遊亭円朝の次の言葉を紹介しています。
 「お客様のみけんと、自分のみけんの間に見えない棒が横たわっていると思え。自分が動揺すると、この棒が揺れるから、お客様の眉間が痛いので(客は)注意をそらす。」 (『芸論からみた心理面接 「初心者のために」』誠信書房2003) この言葉は、「共感」という節の冒頭にあげられています。
 「目を合わせる」というのは、このようなことを言うのではないでしょうか 1)。でも、医学教育でこのことまで伝えるのは難しそう。

 また、前田さんは別の本(『芸に学ぶ心理面接法 初心者のための心覚え』誠信書房 1999)で、日本画家の「余白の美」について次のようなことを書いています。
 「相手の語りの間の息づかい、連想が途切れた沈黙中の仕草や雰囲気、そのさなかの面接者の物思い、そして面接が終わって別れてゆくときの表情や足取り。また面接がキャンセルになったときの面接者の心の反応」が通じると言い、「面接は、この描かれていない余白的な「何か」によって動かされたり、色付けされている場合も少なくないのではなかろうか」。

 同書では、H.S.サリヴァンの『精神医学的面接』(みすず書房1986)の言葉も引用しています。
 「面接という技法を曖昧なものにさせている面接の場での非言語的な要因、とくに音声が注目され、声の調子や喋り方、それに顔の表情や身振りなどの問題が取り上げられている」
 「相手がしゃべっている言葉のイントネーション、話す速さ、言葉のつかえなどを「耳ざとく」とらえること、つまり聴覚をとぎすまし、音調変化をとらえることを面接の基本に置いている。そして面接を進めるために、急に話題を変えたり、こちらの声の調子を変えたり、わざと驚いてみせたり、うんざりした感じを匂わせたり、身を乗り出して話しかけたり、「タカ派」の態度を示したりするような、いわば演技的な技法を積極的に加えることで、相手の「生の困難」を理解する方向へとみちびいていく戦略的な技法が、細かく語り続けられている。」
 (声の表情・微表情についてはNo.223「あいさつ」などに書きました。)

 ここに書かれていることは難しいことではないと思います。身の回りの親しい人となら、自然にできている人の方がずっと多い。それが出来ていない医者が少なくないのは「目を合わせない」からでも、「芸の技法」を学んでいないからでもなく、患者さんを「身の回りの親しい人」と見ていないからです。
 「親しい人」と感じていなければ、目を合わせることも、言葉や自分の態度に気を配ることもないでしょう。そういったことを気にしなくて済むということが、「権力を持っている」ということです。それでも会話が「成り立っている」のは、相手が、医者に気を遣い、医者の言わんとする意味/意図を推察して「理解」し、医者の機嫌を損なわないように気を付けているからです。

 神田橋條治さんは対話精神療法について次のように言います(『神田橋條治 精神科講義』創元社2012)。

 「もともと知り合いの人が来てつき合い、治療が終わったあともずうっとつき合いが進んでいく、そう思って接する。そうすると、ものの言い方や、助言のタイミングや、あるいは断り方や、そういうのが上手になる。「もともとこの人と知り合いだったら、この言葉を言うだろうか、言わんだろうか、何と言うだろうか」というふうに、いつも適切な選択ができるようになります。
・・・・・・・・・
対話の原形・・・・音があって、表情があって、触れ合いがあって、感情の行き来がある。・・・看護のなかで支える関係とか、思いやりとか言われている関係のほとんどはこれなんです。
・・・・・・・・・
表情も言葉づかいも、早くとか、ゆっくりとか、声の出し方とか、いろいろなものが雰囲気を伝えるものです。だから、雰囲気の伝達を訓練していくと、大層やりがいがあるんです。」

 「もともとこの人と知り合いだったら、この言葉を言うだろうか、言わんだろうか、何と言うだろうか」「もともとこの人と知り合いだったら、こんな態度をとるだろうか、どんな態度をとるだろうか」2)。この「単純」なことをいつも自分に問いかける姿勢は医療コミュニケーションの基本だと思います。

1) 生田久美子さんは、中村勘三郎(十七代)が菊五郎(六世)から受けた教えとして次のような例をあげています。(『「わざ」から知る』東京大学出版会1987)
 (仮名手本忠臣蔵で)「力也が花道のつけ際に坐って、父・由良助はまだ到着しないかと、気遣いながら向こうをこう・・・見定めるところがあるのね。そのとき、おじさんは、揚げ幕に仮に丸い穴をこしらえて、そこから向こうを見てみな、って言うんです。心の中に揚げ幕に丸い穴をこさえて、そこから遠くをじっと透かして見るようにしてみな、って言われて、形と心がいっぺんにわかりました。」

2) 「「話す」ということは「配慮する」ということである。・・・「気くばりする」ということである。それ以上でもなく、それ以下でもなく・・・・・。話し上手とは気くばり上手のことである。」「「話し」の本質は、「意思の伝達」というよりは「気くばり」である。」佐伯胖『わかり方の探究』小学館2004


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

● コラムNo.230 までは、東京SP研究会ウェブサイトにアクセスします。