No.410 「女性ならではの」
コラム目次へ 首相が閣僚の任命理由を述べた際に、「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」と発言したことが話題になっています。この発言は悪いでしょうか。「悪くない」と言う人もいますが、ここで説明を止めればやっぱり問題発言です。
「女性ならではの」という言葉は「(女性は)女性らしく」に繋がります。「女性らしく」という言葉は「女のくせに」という言葉と対になって、男性(それも壮年期で「健康」な)が世の中を取り仕切る中心であることを支えてきました。
この「女性」は、「子ども」「老人」「病人」「障害者」「外国人」と限りなく置き換えられます。そして、置き換えることで、当の人の存在を貶め、抑圧し、排除することを可能にします。
「女性」を「男性」に入れ替えると、男性もまた男性優位の社会に呪縛されていることが分かります。「男らしく」「男なんだから」「男の方が偉い」と思えば思うほど、その人生が狭めらていれるのです。
あの発言を「悪くない」と言ってしまうことは、これまでさまざまな「・・・らしく」という言葉ゆえに辛い思いをしてきた人たち、差別と闘ってきた人たちに水をかけることにもなります。
でも、せっかく「貴重な」発言があったのです。
「女性ならではの感性を十分発揮して、これまでオトコ(それも高齢で、女性を見下ろし差別しつづけて生きてきている)の論理で行われてきた政治を作りかえてほしい(ぶち壊して)という意味ですよね」
「資本の論理に支配されているために、人間どうしの共感力が欠如しているこの社会のありようを、ケアの論理 1) 2) 3) 4) に支えられたものに作りかえてほしい、その先頭に女性が立ってほしい、男性はその先導に従うという意味ですよね」と打ち返していきたい 5)。
もし、ほんとうにそのような動きが少しずつでも進めば、現在の医療が抱えている問題もずいぶん見え方が変わり、問題の解決への方途も変わってくると思います。(2023.10)
1) 言うまでもありませんが、この“ケア”は「母親が子供の世話をする」「家庭内で女性が高齢者の介護をする」という意味にとどまるものではありません(それも入りますが)。人は誰もが“弱い”存在であり、そうした者どうしが支え合って生きていくことを社会の原理とするという意味です。
M.メイヤロフ『ケアの本質-生きることの意味』ゆみる出版1987
キャロル・ギリガン『もう一つの声 男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』川島書店1986
小川公代さんは「ギリガンは、人間の分離や実理性こそが成熟の証であると考えた男性理論家たちの主張とは全く異なる「関係性の網」の価値を提唱した」と言っています(『世界文学を ケアで 読み解く』朝日新聞出版2023)。とはいえ、ケアしケアされる関係では協働性や関係性が個に優越しがちです。それと自律的な個とのバランスをいかにとるかは課題であり続けます。
2) 「わたしは以前、反資本主義的なゼスチャーとして残されているのは、愛、特に愛の詩に関係するものだと考えていた。・・・しかし、今なら自分が間違っていたことがわかる。最も反資本主義的な抗議とは、他者をケアし、自身をケアすることである。歴史的に女性化され、それゆえに不可視化された、介護、養育、ケアの実践を引き受けること。互いの脆さ、繊細さ、傷つきやすさを真剣に受け止め、それを支え、敬意を示し、力づけること。互いを守り、コミュニティを形成し、実践すること。ラディカルな親密性、相互依存的な社会性、ケアの政治学のことである。
なぜなら、わたしたち全員が病気でベッドに閉じこもり、セラピーの話や慰めになったことの話をシェアし、サポートグループをつくり、互いのトラウマの語りに立ち会い、わたしたちの、病んでいて、痛くて、高くついて、繊細で、素晴らしいこの身体へのケアと愛を優先し、仕事に行く人が誰もいなくなったなら、きっとその時ついに資本主義は、長らく望まれつつ遅れていた、そして、クソみたいに輝かしいその停止へ、音を立てて向かうだろうから」
ヨハンナ・ヘドヴァ「シック・ウーマン・セオリー」菊池美名子による訳 「メンヘラ少女たちのオートセオリーのために」現代思想49-10 特集 <恋愛>の現在 2021
3) 「ケアを、「支える」という視点からだけではなく、「力をもらう」という視点からも考える必要があるということだ。」鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい 臨床哲学講座』ちくま新書2010
4) 「ケアはケアを必要としているひとに何かをしてあげることだという思い込みから、まず自由になる必要があるだろう。何もしないこともケアになりうる。時には迷惑をかけあうことすらが。
「ひとはたしかにじぶんのことを気に病んでくれるひとがいるということで、生きる力を得ることがある。見守られていると感じることで生きつづけることができる。が、しかし、・・・・他人に関心をもつことでも生きる力を打ちに感じることができる。」「ケアを何かを「してあげる」ことと考えること・・・・で患者さんの生きようという力を削いでしまう面が、ケアするひとのそういう意識のなかにはある・・・。」鷲田清一『死なないでいる理由』角川文庫2008
5) 高齢男性議員の圧力が無くなれば、自民党の女性議員にもこのようなことを言える人たちがいると信じたい(全く縁遠そうな女性議員も何人もいますが)。
日下 隼人