No.422 「自分の人生の中では 誰もがみな主人公」
コラム目次へ 今年の研修医オリエンテーションで、「2年後にどのような医者になっていたいか」というテーマについてKJ法で議論してもらいました(例年、オリエンテーションの最後のセッションです)。
KJカードに「謙虚な心を持ち続ける」「謙虚」などと書いている人が何人もいました。オリエンテーションで私が何度も「謙虚さ」について語ったためかもしれません。でも、「謙虚」と言っているだけではたいてい「謙虚」でないほうに流されてしまうのにと少し心配になりました。
謙虚とは、敬語で話せること、礼儀作法が守れること、挨拶ができることだけではないはずです(最低限それができないと困りますし、「まずそれができれば」と私は書いてきていますが)。
さだまさしに「主人公」という歌(1978)があります。その一節。
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折り思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では 私が主人公だと
きっと患者さんもこんなふうに思っています。医療者に向かって、「私の人生の中では 私が主人公だ」と言いたい。そのことを片時も忘れないことが、患者さんへの敬意―謙虚さの原点、そして医療の原点だと思います。
「病い」という人生の荒波に翻弄されながらも、誰もがその人生の主人公として、その非常事態に一人で立ち向かっています。自分の人生にいろいろな思い/希望を抱き、様々な困難に戸惑い格闘し、時には絶望し、それでもなんとか生きようとしています、どこかで誰かが「支えてくれれば」と願いながら。
一人の人生は「小さな物語」に過ぎません。名もなき人間の、ちっぽけな人生。現時点で多少の名声や地位、業績があったとしても、100年もすればほとんどの人は無名の人です。誰の人生もちっぽけなもので、たいしたものではありません。毎日、寝て起きて、食べて排泄するチョボチョボの人生を生きているだけです。
だから、意識がない人の生も、障害のために「何もできない」人の生も、「自分についての物語」を語ることのできる人の生も、「立派に」病と闘っている人の生も、等しく尊重されるべきものです。それは多様性の尊重ということではありません 1)。
誰もがちっぽけな人生を生きているということの自覚こそが、患者さんと私たちを繋ぎます。でも、患者さんはちっぽけな人生を生きながらも「病い」という嵐に立ち向かって/耐えています。そのことで、私たちとは決定的に違います。その生の深いところまでを私たちは見ることはできないのですから、その「気高さ」には及びもつかないのです。そのことを畏れながら患者さんを見つめる気持ちが敬意であり、謙虚さの源です。
誰の人生も「小さな物語」です。小さいからこそ、ちょっとした傷にも大きく物語は損なわれてしまいます。だから、私たちは目の前の患者さんの物語を「大切に」、その物語にそっと丁寧に触れなければならないのだと思います。それが、敬意―謙虚さです。医療のコミュニケーションはそのためのものなのだと、私はずっと思っています。
「困った患者」「取り乱している患者」「迷惑な患者」「社会の底辺だとしか感じられない人」の人生も、そんなふうに見れば違って見えてきます。そこにも、その人の「小さな物語」が息づいているのです 2)。
「自分の人生の中では 誰もがみな主人公」という歌詞は、患者さんへのエールだと私には聞こえます。「もっと自信をもっていいのですよ、もっと主張していいのですよ、主人公なのだから」と。
「主人公」には、次のような歌詞もあります。
いつもの喫茶(テラス)には まだ時の名残が少し
地下鉄の駅の前には 「62番」のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と 学生だらけの街
あなたの服の模様さえ覚えている
あなたの眩しい笑顔と 友達の笑い声に
抱かれて私はいつでも 必ずきらめいていた
多くの人が、お茶の水を思い浮かべるようです。お茶の水で学生時代を過ごし、仕事がら卒業後も大学にしばしば行くことの多かった私には、もちろんお茶の水しか思い浮かびませんが(地下鉄御茶ノ水駅を出たところにあるバス路線は62番ではありません)。
ケアは、患者さんが「いつでも必ずきらめく」ことができるようにと念じながらおつきあいしていくことだと思います。その時、お互いの記憶の中に(服の模様だけではない) “何か”がずっと残っていくでしょう。そこには敬意が必ずあり、その敬意は記憶の中に生き続け、次の新たな出会いを生み出します。(2024.08)
1) 立岩真也さんは「唯の生」と言い、「誰もが生きてよい。平等に生きてよい。それは権利以前の権利であり、義務以前の義務である」と言っています。(『良い死/唯の生』ちくま学芸文庫2022) 立岩さんが亡くなられてから1年近くが経ちますが、何か灯台の火が一つ消えたような感じが続いています。
2) ハラスメント的な言動にも「我慢しなければ」と言っているわけではありません。
日下 隼人