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No.348 白日の下に

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 新型コロナウィルス感染は、この社会で見えていなかったもの(見ないようにしていたもの)を明らかにしてしまったようです。以下、いくつかのツイッターから。
 「コロナ疲れ」「コロナでどこにも出かけられなくておかしくなりそう」という言葉に対して、「具合が悪く家にいなければならない時間が長い人間にとって、そうしたことばの残酷さを考えてほしい」と言った人がいます。
“Before you hit send on that tweet that laments having to stay home and missing out on that school event, concert, or trip you were looking forward to, consider that such experiences are commonplace for disabled and chronically ill folks.”
 「わたしはとても性格が悪いので、今の社会情勢に不満ありまくりの人々をとても冷めた目で見てしまうのです。行動を制限され仕事を失い趣味を楽しめなくなり毎日が無味乾燥していく。努力だけでは抗えない現実。 それは特効薬のない難治性疾患にかかり寝たきりの生活を何年もしているわたしの日常だから。」
 「リモートワーク、在宅ワークにしても今までどれだけ疾病障害者たちが望んできたことか。それを『前例がない』という一言で後回しにされ続けてきた。けれど今回の騒動でできることが分かった。体制作りが面倒だっただけでしょう? どうかこのまま社会に在宅ワークという働き方が定着しますように」。
 「健康で文化的な生活はある日突然失うものであると知らなかったのかな。昨日までの『日常』は今日『非日常』になり得ること、自分だけには当てはまらないと思っていたのかな。 受容しなよ。社会は、ある日病気や障害を負った人にそれをさせているじゃない。『受け入れて、できることを粛々とやれ』と。」

 言うまでもなく、こうした言葉は「障害」を甘んじて感受せよと言っているのではありません。無意識のうちに「障害の受容」を強いて、従順に「受容」する人たちを「良い人」「美しい人」として称揚してきた私たちの社会のありようを問いかけているのです。
 「とある障害当事者の方が『見た目とか話し方は完全に普通ですよ』と言われた際に、『だってそう振る舞わなきゃ差別するんでしょ?』と言っていた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。生涯忘れることはできないし、忘れてはならないと思っている」と書いている人も。
 「障害者らしく」「患者らしく」「女性(男性)らしく」している限りで、一定の範囲内で庇護してもらえ、「らしく」から外れると「可愛げがない」と言われる社会の息苦しさを感じている医者は多いわけではありません。

 今回の感染症について、橋下徹の「国民の60~70%が罹患するまでです。ここに至るまで、ある程度の犠牲者はやむをえない。何もせず、ほっときゃいいんですよ。死ぬべき人は死に、生きるべき人は残る 1)」という言葉は、生物学的には「正しい」のかもしれません。でも、生物学的な自然の流れに抗してきたのが人類の歴史・医学の歴史です 2)。この言葉には、長い時間をかけて獲得してきた基本的人権への敬意、これまでの人類の医学的営為への敬意が感じられません。橋下は自分の家族(や自分自身)、目の前で現に重い症状に苦しんでいる人や亡くなった人の家族にこうした言葉をかけることができるのでしょうか 3)
 危機的状況の中での言動は、人の本性を明らかにしてしまいます。敬意の感じられない言葉を言う人と出会ったら、お付き合いは控え目にしておきたいと思います。年齢だけでなくリスク因子を複数抱えていて、明日をも知れぬ身ゆえの繰り言でしかありませんが。(2020.05)

1) 現政権の感染症対策(意図的無策なのだろうか)も、この考えで行われているのかもしれない。

2) 「自然の流れに抗してきた」と言っても、しょせん人智の及ぶところはこの程度のことでしかないのだ、という見解ももちろんありうる。

3) 大阪維新の会について「自分で割った皿を、自分で張り合わせて、自らの功績にしようとする」という人がいたが、それが当たっているのだろう。公務員を貶め、病院を閉鎖してしまったツケを、現在の現場の人たちに払わせながら、上から目線のコメントを出し続けている人間を信用できるだろうか。「僕が今更言うのもおかしいところですが……徹底的な改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させているところがあると思います。保健所、府立市立病院など。そこは……見直しをよろしくお願いします」と本人も認めているのだが、こんな居直り方もあるのだと「感心」した。都立病院の独法化も同じ轍を踏みそうだ。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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