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No.279 看護実習の時期

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 今年も研修医オリエンテーションの最終日、看護についての話し合いの場に参加させていただきました。新研修医たちに「看護について考えていたこと、オリエンテーションを通して感じたこと」などを自由に話してもらい、最後に看護部長と私とがコメントを言う形で、15年くらい続けています。
 そこで、大学での看護実習について尋ねたところ、11大学のうち全く行っていない大学が2校ありました(彼らが「忘れている」「さぼっていた」「意味が分かっていなかった」というような可能性はあると思います)。1年生の時のearly exposure(早期体験)のみという大学が複数ありましたが、案の定「印象に残っていない」とのことでした。離島実習や地域実習で看護の現場を見たという人も複数で、これはきっと「現場にお任せ」なのでしょう。
 中で滋賀医科大学は、5年生というすでにBSLが始まっている中で看護実習を行っているとのことで、その話を聞いて私はとても嬉しくなりました。このようなシステムが続くことを祈るばかりです。医学生たちは看護学科の学生たちとの交流がありますから、そこでいろいろ考えるでしょうが、だからと言って「それでよい」ということにはなりません。教育の仕方によって、学生どうしの話し合いのレベルも違ってくるはずです。
 「Problemの立て方でも医学生は身体的なことについて立てるが、看護では違うことを知った」という学生がいましたが(私の後輩でした)、POMR(Problem Oriented Medical Record)の教育で「身体的なProblemだけでは不完全なlistなのだ。社会的・心理的なProblemもそろって、はじめてProblem listは完成するものなのだ」という教育がされていないのでしょう。電子カルテでは、はじめからS、O、A、Pになっていますから、ますますそのようなことを考えなくなって(教えなくなって)、ただSOAPで書けばよいということになってしまっているのかもしれません。そもそもSから始めるのは、「医療は患者さんの言葉を大切にすることから始まる」と考えてのことなのですが、その精神が伝えられているでしょうか。

 「看護師の仕事は大変」「忙しい」「絶えず動いている」「仕事がきつい」、看護師さんたちを「気遣いたい」「ねぎらいの言葉をかけたい」「連絡をきちんとする」「できるだけ話し合いたい」「頻繁に病棟に顔を出したい」というような、いささか「優等生的」な(「素朴な」と言うべきでしょうか)言葉が聞かれるのはいつものことです。そして、最後に、私がNo.185、No.268で書いたようなことをお話しするのも、いつもと同じです。
 「病院の雰囲気作りは看護師がしている」という人がいました。薬剤師として病院に勤務した後に医者になった人の発言でした。その通りだと思いますが、その雰囲気づくりに医者は良くも悪くも加担していることに気づいてくれているのかが、少し気になっています。(2017.08)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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