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No.358 すぐに誰でも上手に実践できる

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 コロナ対策のために病院経営が圧迫されている現状からか、「このままでは、日本の経済は立ちいかなくなり、その結果医療が崩壊する。日本は滅びる」と言う医療関係者も少なくありません。「感染者がある程度増えても経済活動を回さなくては」と主張する人たちも同じ思いなのでしょう。でも、これは一種の「思い込み」ではないでしょうか。医療以外の予算を削り医療に供給するというような既存の枠組みを変える方策だってありうるはずです。それ以前に、ともかく「人は生きたいのだ」という当たり前のことを守る(「国の経済を守る」ことより。ただし、これを二律背反のように考えることは間違いだと思います)というところから思いを外さないのが医療者ではないでしょうか。
 現在のところ、コロナ感染症の死亡例の多くは高齢者であり、経済を守るために高齢者の医療の「差し控え」を考える人たちも少なくないようです(若い人たちにとっては「年寄りだけが死ぬ」縁遠い病気ですから)。でも、それは高額な医療(例えば新規のがん治療)の差し控え、障碍者への治療の差し控え、「生産性がない」人への治療の差し控えへと、一直線です(そこに境界線を引くことは、かえって不自然です)。ALSの「安楽死事件」を好意的にとらえる反応にも、そのことは見られます。だからこそ、今、ここで流されてはならないのです。「これくらいはいいだろう」「これくらいはやむをえない」「この程度のことがあっても、それ以上悪いことは起きない」というのは、間違いなのです(「学術会議の任命拒否くらいのことでは学問の自由は侵されない」というのも同じ誤謬です)。
 「このような状況だから」とACPを語る声が大きくなりつつあることはNo.351でも書きました。現在は、もう次のような言葉が現れる状況です。
 「日本のACPの先駆者として日々現場でACPを行っている医師とケアマネジャーが、そのノウハウを分かりやすく、かつ楽しく解説します。医療介護の現場でよくある症例を取り上げ、ACPの進め方を会話形式で紹介しているため、本書を読むだけで、あら不思議、すぐにだれでもACPを上手に実践できるようになることでしょう。」(西川満則/大城京子著、日経BP社)ACPとは、こんな「乗り」で語られて良いものなのでしょうか。こんな「乗り」に乗れる医者にも、「弱い立場」の患者は付き合わなければならないのでしょうか。この文章は、医者の思考停止 1) を見越しているかのようです(わだかまりなく、病院の決めたルールに従ってACPを「こなして」いくことになります 2))。
 「すぐにだれでも上手に実践できる」という宣伝は医学教育を含めてありがちですが、「すぐにだれでもが上手にできるわけではない」ところにこそ大切なものが隠れているはずです。この宣伝文の背景には、ACPを進めるうえで多くの壁があるという現場の実感があるのだと思いますが、その壁にこそ医療の質が問われているのです。その壁を簡単に乗り越えようとしない医師と、自分の人生について話し合いたいと人は思うのではないでしょうか。(2020.11)

1) 自分の死から目をそらして気晴らしに熱中する生き方をハイデガーは「頽落」と言います。頽落とは、死にゆく存在としての自分に直面することを回避して公共的な生活に埋没しているという意味ですから、パチンコに熱中することや娯楽(音楽、海外旅行、グルメ・・・・)、消費生活、スポーツ、金儲けに没頭することだけではなく、会社人間としての仕事に没頭することも、大学で研究に没頭することも、現場で日々の診療に従事することも、教育に熱意を燃やすことも、所与の社会システムにとりこまれたままである限りは、頽落です。

2) 医療の世界に限ったことではありません。教育の世界でも「最近ではもっと怖いことに『何から何まで(マニュアルで)決めてくれるので楽でいい』と言い出す大人が登場し始めた」とのことです(田中博史「『教える』人の価値観が試されている時代~失敗を見届ける『待つ』『任せる』力を持とう」(チャイルドヘルス23.10 2020)。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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