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No.328 上野千鶴子さんの式辞

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 東京大学入学式での上野千鶴子さんは次のような言葉を新入生に贈りました。その一部です。
 「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。」
 今年も武蔵野赤十字病院の初期臨床研修医オリエンテーションのお手伝いをしたのですが、研修医たちはみな有名進学高校(公立を含む)を卒業し、10人中2人(それも1浪ですが)を除いて浪人もせず、留年も国試浪人もしていませんでした。このような順風満帆な人生経験 1) で、病のために人生の挫折のさなかにいる人を支えることができるのでしょうか。
 それでも、若い人の価値観を揺らがせ成長を促すのは、臨床現場での様々な人生との出会い・患者さんとの様々な確執(医者の「思い通りにはならない」事態との出会い)であって、自然科学としてのサイエンスではありません。人文科学や社会科学も、事態を振り返って省察することには役立ちますが、現に進行している状況には役立たないことのほうが多いでしょう。

 私が採用面接を担当していたころのことです「医師を志したきっかけ」を尋ねると、「ブラックジャック」との出会いを挙げる人がたくさんいました 2)。マザーテレサを挙げる人もたまにはいました。でも、神谷美恵子さんの著作を挙げるような人には出会いませんでした。「らい」のように医療が人々を不当に苦しめた歴史から、自らの医師としての生き方を問い直すことは大学入学後の課題だと思いますが、そのような思いを話す学生にも出会いませんでした。そもそもそのような歴史が教えられていないのかもしれません。試験なので何につけ医学に対するネガティブな意見は言わないようにするということはあるでしょうが、「世渡り上手」であることには自らの未来を狭める力があります。10年以上も前、「医療の場は、感覚の研ぎ澄まされた患者と感覚の鈍磨した医療者とが対峙するところだ」と研修医採用試験のための履歴書に書いた学生がいましたが、他にはこのような学生には出会っていません。でも、オリエンテーションで医療倫理についてのグループディスカッションをしてみると、学生実習を通してそのような思いを抱く学生は少なくないことがわかります。問われているのは、教える側の「視力」です。(2019.07)

1) かつて研修医の採用面接で座右の銘を尋ねると「為せば成る」と言う人が多くて、それを聞くたびに私は上野さんの言葉のような気持にとらわれていました。「あなたは確かに努力して成功したよ。でも、同じように頑張っても、あなたに弾き飛ばされて『為してもならない』と臍を噛んだ同級生たちが何人もいるよね」と言いたい誘惑に何度も駆られました。ちなみに、最近ではこのような質問は個人の思想信条に関わることなので尋ねてはいけないと言われているようです。私がよく尋ねた「大切にしている本」を聞くことなども好ましくないようです。研修医の採用面接でもいけないのかどうか私にはよくわかりませんが。

2) 「最初のきっかけ」として微苦笑しながらエピソード的に挙げているだけで、それを根本的な理由として語っているわけではありません。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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