No.237 良い医者?(1)
コラム目次へ 研修医の採用試験の時、「患者さんを笑顔にしたい」「医者になって人の役に立ちたい」とほとんどの学生が言います1)。何があっても、その思いを失うことはきっとありませんし、患者さんの笑顔や感謝の言葉をいっぱい見聞きしすることでその思いは満たされ続けるでしょう。でも、いつの間にか自分の前から姿を消した(笑顔になれなかった)患者さんの姿や、患者さんの笑顔の奥にある涙や悔しさが視界に入っていなくなっていることには気づきにくいものです。気づくことはあるかもしれませんが、気づくことは居心地が悪くなり日々の仕事や研究の妨げられることですから、目をそらします。そして、その付き合いが自分を不快にしたり、自分の仕事の妨げになるような患者さんの感覚を共感することは、至難の業です。
2年間の研修が終わるころには、「初心」はずいぶん薄れます(ほとんど消失?)。研修終了のころの研修医たちに「良い医者になってね」と私はこれまで何度となく言ってきました。医学教育の目的は「良い医者」を育てることのはずですし(医学教育者の満足感を満たすことではないはずですし)、言うまでもなく模擬患者さんたちはそのような思いから活動をしています。でも、「良い医者」ってどんな人のこと?
「よい医者になってね」と言うとき、言う人・「はい」と返事する人それぞれの「良い医者」への思いはありますが、その中身は多様です。もちろん、「良い医者」であるかどうかの判断を最終的に行うのは患者さんです。患者さんが「良い医者」だと感じた時に、「良い医者」が生まれるのです。だから、「良い医者」は一人ひとりの患者さんとの関わりの中で、そのつど生成消滅します。誰にとっても「良い医者」というものは存在せず、ある患者さんにとっての「良い医者」が存在するだけです(だから、医者の評判というものには余り意味がありません)。
だからといって、患者さんの感謝の言葉から判断するのは表層的に過ぎます。心から「先生に会えて本当に良かった」と言っている人であっても、その心の奥には複雑な思いが渦巻いており、「ほんとうにこの医者で良かったのか」という思いが蠢いているはずです。それに、「会えて良かった」と心から思う人はきっとそんなに多くはなくて、そう思うことで自分を納得させている人のほうが多いに違いない。そもそも病気の人に関わる人間=人の不幸につけこんで、人の心に踏み込み、その人の身体をいじくりまわす、そんな人が「良い人」ではあるはずがありません(「原罪」のような意味においてです)。だとすると、「良い医者」というのは、「まあまあ許せる範囲内」の医者ということになるでしょうか。別の座標軸(たとえば「研究ができる」とか「医療経済がわかる」といったこと)も「良い医者」の基準になりえますが、その場合でも患者さんにとって「良い医者」であることは当然の前提となっているはずです。
一人の患者さんが「良い医者」に出会ったと感じたとき、患者さんの心にはその医師への信頼だけでなく、医療・医学への信頼が生まれます。そのことを無条件に喜んでいてよいのか、これからしばらく考えてみたいと思います。
また、朝の連続ドラマ「あさが来た」のエピソードから。
主人公“あさ”が妊娠したという情報に接した夫の新次郎の「ほんまだすか!? ややこ(赤ん坊)て。“あさ”に」という問いに、女中のうめが「向こう(福岡)できちんとお医者さんにも診てもろて、間違いあらへんやろて」と答えます(60話)。この「何気ない」会話が示すのは、西洋医学の医師が身体のことを判定し、その診断があって初めて事態を確信する時代になっているということです(史実はわかりませんし、この主人公のように裕福な階級のみのことだったのかもしれませんが)。その後、お産は「産婆さんが良いか、西洋医学の医者が良いか」と家庭内で議論になり、結局両方に介助してもらうことになりました(これもお金持ちだからできたことです)。そして、出産を終えた“あさ”は「先生、お産婆さん、ほんまおおきに」と、まず医師にお礼を言うのです(64話 明治9年の設定)。妊娠から出産までがすでに西洋の近代医学の枠組みに組み込まれています2)。脚本家が自覚して書いたものかどうかはわかりませんが、私たちの多くがこの構造に無自覚に取り込まれています。
人が普通に社会生活をしていくために、世の中の仕組みが至るところで医師医療職)の手を借りるしかないことは、ほとんどの人にとって自明のこと(逆らい難いこと)になっています。
病気になったら、妊娠したら、「病院に行け」「早く医者にかかれ」と言われますし、診断がついても「もっと早く医者にかかっていれば」、回復が思わしくなければ「別の医者のほうがよかったのではないか」と言われ、「〇〇先生の方が良い」といった助言が襲ってきます。他人に言われなくとも、「とりあえず病院に行ってみよう」「なにをおいても、まず病院へ」とほとんどの人は自発的に思います。なにしろ、医学のこと(つまり自分の身体のこと)がわかりませんし、「手遅れ」は嫌ですから。
病医院以外の医療機関をまず受診する人もいますし、○○食のように医療と関わりのないものから始めてみる人もいます。「あれやこれや」の理由を付けて、受診を先送りする人もいます。でも、その人たちは心の中では「病院に行っておかなくて良いかな」と思い続けています(しばしば強迫的に、もしかしたら脅迫的に)。
人々は医者の影のもとに生きるしかなくなっています。医者の診断書がそのことを端的に示しています。生まれたら出産証明書。入学にも入社にも健康診断書、学校や会社をある程度の期間以上休む場合にも医師の診断書、感染症がよくなったら医師の書いた登校(園)許可書。持病があれば運転免許を受けるためにも診断書。医療費の助成を受けるためにも、生命保険からの支払いを受けるためにも医師の診断書。労災の認定、介護認定を受けるために医師の意見書。もちろん死亡診断書。個人の自覚は、医師の診断には「勝てない」のです。自覚症状が強くても、医師が身体的病気と診断しなければ、それはそれで別の性質の(心の)病気という診断が下されます。このような事態を、I.イリイチが「医療化」と表現してから、もうずいぶん時間が経ちました(「脱病院化社会」晶文社1979)。
医者の「顔色をうかがう」ことなしに人は生きていけません。「患者さんを笑顔にしたい」という願望を持っている医師も、顔色をうかがわれる存在になっています。社会が「人の笑顔を失わせる仕組み」になっているのですから、医師はその仕組みの歯車となって「笑顔を失わせて」います。だからこそ、医者に対する「反感」が膨らむことは少しもおかしなことではないのですが、そのことに医師は気がつきません。この構造に公然と異議申し立てをしようがないので、不快感は「理不尽な」反発としてしか現れてきません。(2016.04)
1) 学生はそれなりに本気でそのように思っているとは思いますが、現場の「大変さ」は知らない人がほとんどです。医学部に入る学生の多くは経済資本だけでなく社会資本にも文化資本にも(そして学力に)恵まれている人たちですから、テレビや本で見聞きした範囲で「かわいそうな人たち」に恩恵を「施したい」というように思ってしまいがちです。医者になって出会う「ドロドロした」現実が、それまでそのようなものにあまり触れてこなかっただけに、初心を変質させます。それでも、彼らが「口にした」ことの意味を大切にしたいと思います。
2) 明治政府は、明治元年「西洋医術差許の布告」を出し、西洋医学を採用する方針を出しています。明治7年に「医制」が発布され、医学教育、医師開業免許制度などが目指されましたが、この時点では漢方医8割・洋医2割だったとのことです。