No.409 「お医者さま」?
コラム目次へ いまだにテレビなどで「お医者さま」と言う人がいます。心から尊敬しての言葉だとも思いにくいので、手ごろな言葉として使われているのかもしれませんが、私には、なんとも居心地が悪い(おしりがムズムズする感じです)。
「先生さま」という人が昔はいたような気がしますが、今ではとっくに死語です。「弁護士さま」とは今も昔も言わないようです。「お坊さま」は、今も生きているのかもしれません。
「“先生”ならどの職業にもあてはまるし、それでいいではないか」というところに、とりあえずは落ち着いているのでしょう。でも「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」です。先生と呼ばれているうちに、自分が偉いような錯覚に陥ります。実際、患者さんの多くは、こちらに敬語を使い、こちらのアドバイスや指示に「従って」くれて、しかもお礼を言ってくれます。これで、「尊大/傲慢になるな」「謙虚であれ」などと言っても、ないものねだりかもしれません。
私は「役者」「芸者」「易者」「医者」、「者」の付く仕事は相手の人が気持ちよくなるようにサービスする仕事だと学生に話していました 1)。「者」のつく仕事に従事する人間のプライドは、相手の人を「気持ちよく」できることにかかっていると思います(医者の場合には、もちろん適切な医療を提供する上でのことです)。「お医者さま」などと言われ続けて「気持ちよく」なっていると、そのブライトが蝕まれていきます。
人の病気や死に関わる仕事は「穢れ」の仕事です。病気そのものも穢れ(褻(ケ)が枯れる)です。穢れは聖と表裏の関係 2) にありますから、「お医者さま」という言葉は、「聖っぽい」言葉で穢れ仕事であることに目隠しをしているのではないでしょうか。「この人たちにやらせておけばいいや」です。「お医者さま」という言葉には、そのようなものとしての医者に向けられた眼差しが付きまとっていると思います。医者のプロフェッショナリズムなどと「偉そうに」言っている場合ではないかもしれないのです。
穢れは聖と一体のものとして畏れられ、敬う(敬遠)の対象となります。医者には、そのような眼差しも向けられているかもしれません。表裏一体の聖(ハレ)と穢れの、聖の部分を医者に、穢れの部分を医師以外の医療スタッフに押しつけているという見方もできるかもしれません(さらに、医療スタッフ間の押しつけ合いが進行します)。
「医者は偉い」「医者は特別な仕事だ(尊敬されて当然だ)」と思っているらしい医者は少なくないのですが(だから患者や他の医療職への侮蔑的発言ができる)、それはただの「内弁慶」です。医療職間の権威勾配は、「穢れ」の多寡の表われと見ることもできるかもしれません。自分は「偉い」と思っているらしい医者は「穢れ」としての医療に無自覚なだけであり、その姿はむしろこのフレームを強化しているかのようです。
医者がこうしたことを自覚するとき、自分の見え方は変わり、もしかしたら少しは患者さんに近づくことができるかもしれませんし、医療者間の関係が変わってくるのかもしれません。
最近、医学教育で民俗学や人類学を学ぶことを勧める人がいます。ならば「ハレ-ケ-ケガレ」については教えてくれるでしょうか。医療/ケアとは、病(ケガレ=褻枯れ)を得た人が日常性(ケ=褻)に戻れるように支えることだと教えてくれるでしょうか。
そもそも「お医者さま」などという言葉に抵抗がなければ、チーム医療などできるはずがありません。(2023.10)
1) 易者の場合は、相談者を傷つけることもあるようです。小川たまか『たまたま生まれてフィメール』平凡社2023
2) 病むという特別な時空には、ハレの側面があります。
日下 隼人