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No.436 『論理的思考とは何か』

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 渡邉雅子さんは『論理的思考とは何か』(岩波新書2024)で、「文章の冒頭にそのパラグラフの概要(主張)を一文でまとめ、その後に主張を支持する三つの根拠(事実)が本論として述べられ、結論として主張を別の言葉で繰り返す論の進め方」がアメリカのエッセイの特徴だと言います(効率性・確実な目的の達成)。

 医者の思考パターンも患者さんへの説明も、このような形を取ることが多いような気がします。私自身、患者さんがわかりやすいように病気を説明するためには、「まず結論 1)、それから具体的な説明を、そして最後にもう一度結論を分かりやすく説明する。説明は患者さんのキャパシティを超えるほど多くなり過ぎないように」と話しています。

 病気の説明ではこれが基本だと思いますが、このような話し方ではうまくいかない場合があると渡邉さんは言います。
 日本の感想文の型は「序論-各対象の背景、本論-書き手の体験、結論-体験後の感想=体験から得られた書き手の成長と今後の心構え」をとるとのことです。序論で各対象の背景と書き手が対象に対して持っていた感想(理解・知識・考え・感想)を書き、本論で対象を通した書き手の体験を述べ、結論で体験後の感想を述べる三部構造になっているそうです。
 体験や思考の流れをその順序に沿って縷々述べていくので、しばしば流れが右左して、まるで話に一貫性が無いようにさえ感じられます。結論は最後に書かれ/言われます(それまでわかりません)。
 体験する者(相手も自分も)への「共感」がなければ、話がわからなくなります。

 患者さんと医者との間にすれ違いが生じているとき(とりわけ、患者さんが怒りを感じている時、患者さんがつらい時、「クレーム」について話し合うとき)、このような論理の違いが「行き違い」を大きくしているのかもしれません。つらい・悔しい思いを必死にいろいろ述べているのに、聞いているほうはその思いを「聞き流して」分かりにくい専門用語を交えた「論理的な」説明で対応しようとしている。それでは「絶望」が深まってしまいます 2)

 「相手がどの領域の論理を使って考えているのかを意識すること、それ以前に「自分はどの領域の論理を使って考えているのか」に自覚的になることがとても大切だ。」「自分の常識はどの論理によって作られているのかを知れば、常識という自分の期待が裏切られた時に湧き上がる「相手の非論理性、非合理性」への怒りの感情を抑えることができるだろう」と渡邉さんは書いています(前掲書)。

 もちろんそのことが求められているのは医者の方です。
 患者さんが戸惑い、混乱し、迷うところから縷々話していることに対して、それを「まとまりがない」「感情的な言葉だ」としか受け止めず、論理的でないと苛立ち、患者さんの「思い」を通り一遍のものとして扱い「主張-根拠-別の言葉で主張の繰り返し」ている医者とが心を通わせることが難しいのは当然です。(2025.04)

1) だからと言って、はじめから単刀直入に「癌です」「治りません」「加齢現象で仕方ありません」(「もう治らないよ」と言った医者がいます)と言うのはまずい。このように言われて、「自分で運転して帰ったのだが、病院からどうやって帰ったのか記憶がない(危な!)」「山手線を何周もした」といった話はたくさん聞きました。
 人は(とりわけ日本では?)言いにくいことを伝える時には遠まわしの言い方をしたり、言いよどみながら話したりするのが常ですから、深刻な結論を突然ぶつける医療者のことを「まともな」人ではないと患者さんは感じてしまいます。「まともでない」人間を信じることは難しい。「デリカシーの感じられない医者」と信じあえるようになるには、患者さんは何段もの階段を上らなければなりません。

2) 「悩みを相談するとき、女性は気持ちをわかってほしいのに、男性は問題解決をしたがるのです(あるレクチャーでの発言)」(宮地尚子『傷を愛せるか』ちくま文庫2022)。
 宮地さんは、これは男女の問題というより「仕事モード」か否かの問題だと書いています。医者は、問題解決をしたがる人種です。何らかの「解決」らしきものを提示することは、それ自体“上位者”の立場を維持することであり、そこにはその問題をできるだけ早く視野から遠ざけようとする意識が働いています。「手を拱くしかないこと」「自分が無力であること」(それは当たり前のことなのだけれど)の不快感を、「問題解決」=「なにかしらの対応策」を出そうとしてしまう(それで終わりにしてしまう)ことで、問題解決からますます遠ざかることは珍しくありません。話を十分に聴いてもらえた時「気持ちをわかってもらえた」と人は感じます。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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