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No.275 「だから」?「だからこそ」?

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 「実際の外来診療での面接は、医療面接演習のようにはやっていられない」というのは事実です。
 研修医の場合、外来では急患の診療にあたることが多いので、現場に出るとまもなくその感を強くしてしまいます。症状のために苦しんでいる人、意識がもうろうとしている人に、家族歴や嗜好を聞くゆとりがないことの方が多いし、尋ねたらかえって「怒りを買う」かもしれません。痛くて話すことも出来ない人には、最低限の質問しかできません。症状を見るだけで診断がついてしまうことも少なくありません。身体診察をしてみないと、深い質問を思いつきません。症状に応じて、絞った質問・閉じられた質問をするほうが、的確なことの方が多いのです。
 訳のわからないことを言う患者さんはいっぱいいます。
 痛みで転げまわっている人に「それはお辛いですね」などと言えるはずもありません。
 コミュニケーションは信頼を育むといわれますが、それは言葉よりも診察をするときの「手」を通して生まれることの方がずっと多い。粗雑な手からは信頼が生まれないのです(が、粗雑と「てきぱき」は紙一重のところがあります)。必要最小限のことを尋ねたら、はやく身体診察を行うほうが信頼されますし、その診察をしながら聞き忘れたことや気づいたことを質問するのが普通です。対面して堅苦しく尋ねるよりも、診察しながら「そうそう、・・・はどうですか」というように尋ねるほうが、患者さんにとって答えやすいことも少なくありません。

 「医療面接演習は現実とは違う」「現場ではこんなふうにしていられない」のです。そのことは学生や研修医は言われなくともわかっていますが、あえて言っておく方が良いと思います。その言葉の後に「だから」というか「だからこそ」と言うかで道が別れます。
 「だから、とりあえず実習の時だけ、OSCEのときだけはこうしておけばよい」と説明する指導者が少なくありません。でも、それならばこのような演習はしないほうが良いと思います。「その場をとりつくろいさえすれば良い」という姿勢を伝えることにしかならないでしょう。
 他方で「だからこそ、いま基本原則を学んでおこう」という伝え方があると思います。実際には10人のうち1人か2人にしかできないことなのだからこそ、実際の面接の場面で基本原則からは外れていることについて自覚しながら診察を進めることが大切なのです。本当は聞いておかなければならないのに省いてしまっていること、本当は声をかけなければならないのに言わなかったことを絶えず気にかけること。その自覚が、今は訊けなくとも後で必ず訊こうと心にとどめることを可能にします。今は接し方が雑だったから、後でなんとか取り戻そうと心に留めるようになります。
 みんなが10kmスピード超過をして自動車を運転している場合でも、それがスピード違反だと自覚している人とあたりまえだと思っている人とでは運転が違うはずです。私が自動車学校に通ったのは38歳の頃でしたが、その学科授業で「自動車の運転免許は『持たない』人がデフォルトで、『持っている人』のほうが特殊なのだ」というような意味のことを聞いたことがいまでも心に残っています(当時デフォルトという言葉はまだ使われていませんでしたが)。多数であることは、正常や正義と同義とは限らないのです。(2017.06)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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