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No.257 フラットな人間関係?

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 私は、「俺」という自称をうまく使えません(たぶん言ったことがない)。でも、自分のことを「俺」という医者が意外に少なくないことがずっと気になっています。もしかしたら、友達感覚で人と接したいという意思表示として、「俺」と言っているのかもしれません。でも、「俺」という言葉は若い人や他職種の人に対するときにしか使われていませんし、そのような人は多くの場合「下の人」には敬語を使いません。「俺」という言葉は、やっぱり権力的な言葉なのです。
 海原純子は「権力は、それ自体が主張しているから、相手にものを言わせにくくする」と言います。「権力を持つ人間が自らのランクに無自覚になると周囲はものを言えなくなる。ましてランクを持たない負け組の人々はものを言う機会をなくしてしまう。人間はいちどランクを持つと、持たない人間に対して無意識に格差を作っていく傾向がある。権力を手にすると、無意識にもたない人間に対して、上からものを言おうとする傾向が強くなる・・・」とも。(「こころの格差社会」角川新書2006)
 「権力をもつ者のまえには決して素顔をさらさない。これは弱い立場にある人間の自己防衛の基本である。」と内田樹さんも言っています(「期間限定の思想」晶文社2002)
 「俺」と言った瞬間、コミュニケーションの壁が出現し、会話が削がれているはずですが、言うほうは気づきにくいものです。
 逆にと言うべきなのでしょうか、「あけおめ ことよろ」とメールに書く指導医を見かけました(最近ではこのような言葉はもうすたれているかもしれませんが)。これも、友だち感覚で人と接しようという姿勢の表れなのでしょう。いわゆる『若者言葉』をつかうことで、若者と親しくなろうという人はいつもいます。でも、このような態度は、たいていの場合「いい年をして、イタイ」と思われがちです。そして、「イタイよ、先生」などとは言ってもらえないものです。壁は消えていないのですから。
 「いい年になる」ということは、どのような人に対しても基本的な礼節を持った言動が取れることであり、そのような言動を自ら示すことで、あるべき姿を後進に伝えるように生きることです。つまりこうした言動は、多少なりとも自らへの敬意を失わせる働きをしていると思います。

 あるテレビ番組を褒めている人が、やたらに「フラットな人間関係が描かれている」と言っているのを目にしましたのですが、私には、礼節や気配りを欠いた人間関係が描かれているようにしか見えませんでした1)。「率直」と「不躾」、「親しさ」と「無礼」、「支援」と「おせっかい」。どれも紙一重ですから、どちらにも見えるとは思います。でも、元々人はフラットな人間関係を生きているわけではありませんし、フラットな関係はそんなに簡単にできるものではないはずです。フラットな関係というのは、非対称的な関係をふまえたつきあいを丁寧に積み重ねていく先に辿りつくものなのではないでしょうか。それも、丁寧につきあっているうちに、気がついたらなんだかフラットになっていたというようなことだと思います。それはとても不安定なもので、「やじろべえ」のように左右に揺れながらなんとかバランスを取り続けなければすぐもとに戻ってしまいそうです。いつだってフラットではありえないのですから、そのフラットではないところを感じてバランスをとり続けることがフラットなつきあいにつながります。その積み重ねなしの一見フラットそうなつきあいは、「上の人」がすればただの「雑な」つきあいの押しつけに過ぎず、「下の人」がすれば少なからぬ周囲の人を不快にするだけです。「俺」も「あけおめ」も同じだと思います。「患者と医療者は対等な関係ですから」と「勝手に」「一方的に」言う医療者は、自分の思いを押しつけがちです。
 「敬語とは話し手と聞き手の対等性を持った言葉である。そして、いわゆる『タメ口』とはむき出しの権力関係を持ち込んだ不平等な言語空間を作り出す。」「『タメ口』ではニュアンスがむき出しになる。内容も、表現の細かなところにも、感情や権力関係がむき出しになる。卑屈な感情も、無神経さも何もかもがむき出しになるのだ。その結果として、・・・安定的な『空気』はできない。」(冷泉彰彦『「関係の空気」「場の空気」』講談社2006)
 力を持ってしまうと、「空気」が安定していないことが分からなくなってしまいます2)。医者だけのことではないのでしょうが。 (2016.10)

1) 若い人たちの中には、年寄りから見れば「無礼」「ぶしつけ」と感じかねない関係をフラットだと思う人たちが増えてきているのかもしれない。少し別のことであるが、講演後に「とても面白かったです」と声をかけて下さる方が増えた。「とても勉強になりました」「貴重なお話しをありがとうございました」と言ってくださる方のほうがまだ多いが、だんだん逆転しつつあるらしいと何かの本で読んだ。私は「面白かったです」と言ってもらえると素直に嬉しいのだが、それはまた別のことである。ちなみに、私は自分の話していることが人の役に立つ貴重な話であるとは思っていないが、それでもなお、褒められれば舞い上がり、足元を見つめなくなってしまう自分の性格がこわい。

2) 「言葉遣いを美しくすると、不思議なことに世界が変わります。嘘だと思うのなら、試してごらんなさい。」(美輪明宏さんのツィートから)「正しい」日本語についても同じことが言えると思う。私は「ら抜き」言葉が話せない。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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