メインビジュアル

No.438 コミュニケーション演習は「ない方が良い」?

コラム目次へ

 ある大学で、3年生に、地域のコミュニティセンターに出向き、民生委員さんに同席してもらいながら高齢者に話を聞き、その後に手紙の書き方を練習しお礼のハガキを送るというコミュニケーション演習を行ったそうです。その実習後のアンケートでは、コミュニケーションについては「今後もぜひあった方がよい」と答えたのは15%で、「どちらでもよい」が28%、「ない方がよい」と回答した学生が12%いたそうです。教員は“聴く力”や“共感する力”を伝えたいと思っていたのにと、ショックを受けていました。
 同時に行った手技のシミュレーション演習についてのアンケートでは「ない方が良い」と答えた人は一人もいなかったとのことです。

 3年生という段階に問題があるのでしょうか、医学生の姿勢そのものに問題があるのでしょうか、演習の方法に問題があったのでしょうか。
 臨床実習もしていない段階の学生に、どんなにコミュニケーションが重要だと言ってもそれは伝わらないのが普通です。一方、手技の方はなんだか医者らしくなった気もして嬉しいものです。演習の意義、信頼を育む意義について説明されているでしょうが、ピンとこなくてもむしろあたりまえです。
 3年生にコミュニケーション教育をするというのは、一種のearly exposureです。クレール・マランは、early exposureについて「まさに一連の参入儀礼である。・・・枠付けも意味づけもなく、人々がその一生の中で遭遇しうるありとあらゆる苦しみにいきなり出会うという形で行われる。このような暴力の集中を、何の準備もなく体験させるべきではないだろう。その経験は、そこに説明(註:病気についての講義→実習など)が伴っていなければ、非人間的だと言ってよいものとなる」と言い、学生には「防衛」が先立ってしまうだろうと言っています。(『熱のない人間 治癒せざるものの治療のために』法政大学出版局2016)(Early exposureについてはNo.336にも書きました。)

 「信頼関係を学ぶために患者さんの話を聴いてみよう」「話を聴く演習がぜひあったほうが良い」と思う学生と「高齢者の話を聴く演習には意味がない」と思う学生。人間なのですから隔たりはあってあたりまえです。
 「こんな教育はつまらない/いやだ」としか思わない学生もいるでしょうが、その中に初対面の高齢者と話すことへの戸惑いに対する防衛反応が働いてる人がいるかもしれません。
 「初対面の高齢者の話を聴く」ということは、やっと20歳になったくらいの若い人たちにとっては「大きな負担」です。実のところ若い医師にとってもそれは負担で、医師という「強い」立場から病気のことに関して(限定して)話す/尋ねるから、なんとかやっていけているのです。
 「手紙の書き方の練習」をさせられるだけでも、「このような演習は不要だ」と不快になる学生がいるかもしれません。学生に「任せる」ことに不安がある気持ちは私もわかります(おかしな手紙はいっぱい見てきましたから)。でも、そうだとしたらこの演習の枠組み自体を変えるほうが良いと思います。

 そして、「ないほうが良い」と思う学生と「信頼の作り方を教えてくれない」と思う学生とが同じような感覚を抱いている可能性もあるような気もしました。「この教育では何か足らない」と感じている学生たちの表現の違いに過ぎないのかもしれないと思いました。
 「なんか違う」という感覚を学生が抱いているかもしれないと、教員は顧みているでしょうか。(このことについてはNo.252「見えないところで」 No.253「ホンモノじゃない」にも書きました。)

 当の教員は「学生たちの多くが、コミュニケーション能力が自分たちに必要なスキルだと実感できず、医療コミュニケーションのノウハウを学ぶことに価値がないと感じる学生が存在してしまうのだと思う」と言っているのですが、コミュニケーションを「スキル」1) 2)と考え「ノウハウ」を伝えようとすることからは患者さんとの信頼関係には辿りつきにくいのではないかと思いました。
 いつも問われるのは、指導者のほうです。「ないほうが良い」を選んだ学生たちこそ、指導者を鍛えてくれる指導者ではないでしょうか。(2025.04)

1) 「ひとつは専門スキルを駆使する専門性であり、もうひとつがクライエントの個別の物語にコミットする素人性ですね。前者はこの仕事の科学性、後者は文学性と言えるかもしれません。この2つは緊張関係にあるのですが、緊張させたままにその2つを生き抜くことが臨床という営みだと思うんですね。」東畑開人/座談会「来るべき治癒へ」での発言 臨床心理学7増刊第12号『治療は文化である』

2) 「(医学)教育が大きく災いしている。コミュニケーションを技法と称し、ツールとして用いる。手段化された人間関係の構築は、相手を対象として冷やかに見つめる観察者、対象を操作する技術者をそだてるだけで、生のつきあいを遠ざけてしまう」川島孝一郎、現代思想 特集「医者の世界」 2014年9月号


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

● コラムNo.230 までは、東京SP研究会ウェブサイトにアクセスします。