メインビジュアル

No.269 この世界の片隅に

コラム目次へ

 子どもたちに「がん教育」を通して「いのち」の教育をしているという医師の報告を読みました。いろいろな試みをしている方がたくさん居られることには感心するばかりです。
 でも、そうでなくともいろいろ忙しい子どもたちが、「がん」や「死」についてまで勉強しなければならないのは大変でしょうね。まして、「ねえ、人間ってみんな死ぬの?僕(私)も死んじゃうの?」と泣きながら(母)親に尋ねてから、さほど時間もたっていないのだとしたら。
 「45分の授業でも、子どもたちは素晴らしい反応を示し、大人顔負けの意見をもつようになる」とのことですが、小学生も高学年になれば講師の気に入りそうなことを言うだけの知恵を身に付けています。「一見おもしろそうな教材でおもしろそうな授業を演じているのは、教師の自己満足にすぎない。子供は教師の意気込みにつられて感動したり納得したりしているかのように見えても、確かな知識、確かな技能が身についていないため。結局はその場かぎりのもので何も残らない」と佐伯胖は言っています(「わかり方の探究」小学館2004)。医学教育で流行りのearly exposureも同じようなものだとしか私には思えません。模擬患者演習での学生の優等生的な感想も、きっと同じなのでしょう。

 報告している医師は、「がん告知の際には、大半の患者や家族は『私ががんになるはずがない』『なぜ私の大切な家族がよりによってがんなんかに・・・』と否認したり悲嘆にくれたり、ひどいパニックに陥ってしまう」ことについて、国民の意識改革が進んでいないと書いています。でも、なぜこのあたりまえの反応をしてはいけないのでしょう。「ああ、そうですか。三分の一がなる病気ですものね。わかりました」「そうかと思っていました、覚悟はできています」などと淡々と答える患者が増えることを期待しているのでしょうか。そんな人がいっぱいいる社会のほうが、よほど気持ちが悪い。心筋梗塞だって脳出血だって診断を言われた人はたいてい「嘘でしょ」「どうして私が・・・」と思うはずです。まして、有名人ががんで死ねば週刊誌などでは必ずと言っていいほど「壮絶な闘い」と書かれ、芸能人のがん闘病が悲劇の主人公のように(あるいは英雄のように)書き立てられ、若い女性芸能人の闘病ブログがいやでも毎日目に入ってしまう日常があるのに、うろたえるなと言うほうがおかしいのではないでしょうか。
 この医師は「『人はいつか病み、そして死ぬ』というあたりまえの事実すら受け入れられない国民性が形成されてきてしまった」とも書いていますが、これは牽強付会です。「人はいつか病み、そして死ぬ」というあたりまえの事実は、だれもが知っています。見たくはないから遠ざけたいということはありますし、それはあたりまえのことです。「戦後の日本社会は、それまで家族が対峙してきた『病』や『死』を、むしろ忌み嫌うものとして日常生活から遠ざけた」とも書かれていましたが、それは好ましくないことなのでしょうか。古来、「病」や「死」は忌み事でしたし、「人間は死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした」(パスカル「パンセ」)のは今に始まったことではありません。

 見たくない人に無理やり見せるような教育に意味があるのでしょうか 1)。「生き方の理解と支え合いのための場の模索-エンドオブライフを考える市民参加型プログラムの事例-」という論文(生命倫理26.1)を目にした時にも同じような感じを抱いてしまいました。子どもたちや市民と語り合う「死」とはどのようなものなのでしょう。運よく長い人生を生きてきた人の「畳の上での大往生」が語られるのでしょうか。「平穏死」や「安楽死」の思想が忍び込んできそうです。でも、生物にとって「死」は突然不条理にやってくるものです。たいていの動物は、何かに「食われて」生を終えます。人間の歴史でも、たくさんの人が、災害や事故で死んだり、殺し合いで亡くなったりしています、それも若いうちに 2)。そのような「死」に触れない教育は、偏ったものでしかないように感じます。
 解毒化された「死」を語ることにはワクチンのように死の恐怖を遠ざける力があるでしょうし、聞く方にも多少の効果はあるかもしれません。「やせ我慢」を学ぶことにも意義はあるでしょう(人生はやせ我慢の連続ですから)。それにしても、「本当は死にたくない」というところから始まらない死についての論を私は好きになれません。そもそも、死について氾濫する論説こそが死を抽象的なものとし、平板で希薄なものとしている可能性の方が高い。「死の教育」を語ることが、教育とは何かという問を欠落させたまま、死についてすら教育できるという傲慢さがそこにはあります。「人の死という事実が死という観念と取り替えられ」「絶対的他者である死者が死という観念へと手なづけられ」ることを指摘する酒井直樹は、中桐雅夫の詩の一節「死について人に語るな 煙のごとく消えさる 言葉を語るな」を引用しています(『日本思想という問題』岩波書店1997)。石原吉郎は「死は理不尽であり、ありうべからざるものだという認識がきっぱりと成立するところで、死ははじめてその重量と、その真剣さを回復するのだ。」(「遺書は書かない」現代詩手帖1961.10 全集Ⅲ)と言います。このような言葉を忘れずに、死についての言説を聞くようにしたい。(2017.03)

1) 医学部を卒業する直前に「メメント・モリ」という言葉に私は出会いました(木村敏「メメント・モリ」。『思想の科学』1973年1月号「主題 死をとりかえす」)その後、重い病気で早逝する子どもたちを見続けてきたので、私は死を考えないようにして生きることはできませんでした。でも、それは私の課題であり、自分の思いに他人を巻き込むことは不遜だという気がしてきました。
 木村は言います。「死は、ある期間の生という姿をとる以外には自らを成就することができない。・・・・だから、「生きがい」とは・・・・われわれの生の一瞬一瞬が実り豊かな死を準備する成長の過程たりうることの喜びであり、最後の力強い和音へと向かってひたすらに凝集して行く和声法の緊張そのものであるだろう。」

2) 吉本隆明は父親の言葉として「戦争で敵兵にやられて華々しく死ねるのはごく一部で、ほとんどは栄養不足、空気が悪い、水が悪い、などの理由で病気になって下痢続きで死んだり、塹壕のなかで土砂に生き埋めになったりして死んでしまう」と書き、小田実は大阪空襲で焼け死んだ人々の死を「難死」と表現しました(『「難死」の思想』岩波書店)。大昔から現在に至るまで、国家(しばしば思想や宗教がまとわりついています)というものに翻弄され、意に反して生を奪われた無数の人が存在することを私たちは知っています。自然現象や事故によって命を失った人も無数にいます。人生の終焉にあたって自分の人生の物語を完成し、自分の人生に価値を見出すことができるような人生に巡り合えれば、それは僥倖なのです。だから、そのようなことのできなかった(あるいは無理やりの理屈で自分を納得させざるをえなかった)無数の死を視界から遠ざけたままの議論には何か肝腎なことが欠けているように思います。「この世界の片隅に※」見つけたささやかな居場所を奪われ、たった一つの生を奪われた無数の人たちに対して、生き延びてしまったものができることは「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と、自らの心の中でひたすら謝りつづけることしかないと思います。それは、死者をどこかに祀り上げることとも視界から遠ざけることとも無縁のことです。「いのちの教育」も、死者を「祀る」ことになっていないでしょうか。
※ 本稿は、この映画を見た後に書いた。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

● コラムNo.230 までは、東京SP研究会ウェブサイトにアクセスします。