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No.359 漏れ出てくる言葉

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 もう40年以上も前のことです。武蔵野赤十字病院の小児病棟で実習をしていた看護学生の実習レポートを、私はたまたま目にしました。
 その学生は、いずれかの病棟での実習で作成しなければならない重要なレポート(看護研究レポートだったでしょうか)を出すことがなかなかできず、指導教員から「小児病棟で出さないと間に合わない」と迫られていました。そのため、学生は一所懸命毎日病室に行き、患者さん(たぶん母親)といろいろ話をしたのですが、話せば話すほど心が通わない(心を開いてもらえない)と感じて、悶々とするばかりでした。ついに彼女は「もうレポートは、ここでは諦めよう。そのことで単位が足らなくなっても、いいや」と覚悟して訪室したのですが、その日からつきあいがパッと変わり、心が通いだしたと感じられるようになったのだそうです。
 私はこのレポートを読んだとき、視界が開けたような気がしました。それまでずっと、私は患者さんの母親たちと雑談ばかりしていたのですが、そのことを意味づけてもらえた気がしました 1)。それ以来、このレポートに私はずっと支えられてきました。「心が通っていない」ことを感じ取り、付き合いを変えた瞬間に「あ、心が通った」と感じとった彼女の感性の鋭さには、感服するばかりでした。もう彼女は60歳を超えているでしょうが、今どうしているでしょうか。
 ケアの世界で「ナラティブ」とか「ライフストーリー」「ライフヒストリー」という言葉が流行りになって、ずいぶん経ちました。でも、患者さんの話を聞き取り、記録としてまとめようとして近寄ってくる人の雰囲気は、患者さんにすぐわかります。「聞き出そう」「記録に残そう(ナラティブ、ライフヒストリー)=研究業績にしたい」という下心は、いくら隠しても必ず感じ取られます。医療者とできるだけ良好な関係を維持したいと患者さんは思いますので、記録をまとめようとする人にはその人が「喜びそうな」話をすることになりがちです。同時に、いくつかの話は控えてしまいます。そもそも、自分の話が分析されたり、心の奥を勘ぐられたり、真偽を疑われたりするのは、楽しいことではありません。語ること=自分を他人の前にさらけ出すことは、自分の人生を他人に明け渡すような気がします。
 ナラティブの記録から患者さんの思いを考察することに意味があることは確かですが、実際に患者さんが支えられるのは、記録にしてまでも患者さんのことを考えてみたいと思う医療者がそばに居て話を聞いてくれるという、そのこと自体です。患者さんが「救われた」り「前向きになれた」としたら、それは新しい物語が創られたからであるよりは、そんなふうにつきあってくれる人がいたからではないでしょうか。
 でも、「レポートしよう」「記録に残そう」という気負いなしに医療者が患者さんと話す時のほうが、患者さんの声は少しだけ軽やかになっているのではないでしょうか。記録には、患者さんとその医療者という二人の間の「秘め事」のような、会話を楽しむ空気は残りません。記録に残るのは話の襞が消え脱色された言葉たちです。記録に残しようもない言葉の楽しいやりとりの雰囲気にこそ、付き合いが息づきます。(No.250の一部を転載しています)
 人を「対象」として見るかぎり、そのこと自体にすでに暴力性が孕まれます。真剣なまなざしが、脅威となりえます。その雰囲気が、患者さんに言葉を呑み込ませてしまいます。逆に、こちらが「油断」したときにはじめてつい出てしまう言葉があります。人は、はじめから本当に大切なことを洗いざらい他人に話しはしない。むしろ、「つまらない」話をいっぱい聞いてくれればそれで十分ですし、そのことでその人のことが信じられます。そんなふうに話を聞いてくれた人だからこそ、つい、心ならずも大切な話をしてしまうことはありえます(しばしば当人もその「大切さ」に気づかないまま)。それもこちらが身構えていない時に限って、です。医療者が「油断」=「弛緩」している雰囲気の時にだけ漏れ出てくる言葉があるのです。そのとき、患者さんの心も一瞬弛緩しているのです。漏れ出てくる言葉を聞き逃さず、患者さんの思いを感じ取ることのできる感性は、お付き合いを大切にしようとする思いから生まれてくるのではないでしょうか。
 医療の場のコミュニケーションについて語られる(書かれている)ものはどんどん増えています。「エビデンス」もたくさん挙げられています。でも、医療者の情報をうまく伝え、医療を円滑に進めたいという「下心」が垣間見えるものが少なくないことが気になります。そのような下心を持ったコミュニケーションは(たとえ、それが患者さんの意向を最大限に尊重するものであっても 2))、患者さんと心を通わせるコミュニケーションとは別のものだと思います。(2020.12)

1) 今振り返ってみると、最近精神科領域で話題のオープン・ダイアローグに繋がっているところもあったのかもしれないと感じています。

2) たとえば、最近「患者さんの『こころ』に働き掛けることで意思決定を支援し、患者さんの行動変容を促す」という言葉を目にしました。言っている人は、患者さんのことを心から思いやっているのですが。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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