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No.388 それですれ違っていたのか

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 先日、ある病院で開催された「指導医養成講習会」のお手伝いをさせていただきました。コロナのため、このような講習会の開催も久しぶりのことです。講習会には看護師など医師以外のスタッフが参加しておられました(武蔵野赤十字病院も同様にしていますし、病院主催の講習会ではずいぶん多くの病院がそうしておられます)。
 「コミュニケーション」をテーマに選んだグループのディスカッションで、参加していた看護師長さんが看護学生の実習で用いられているプロセスレコード 1) について話したところ、医師は誰もその存在を知っておらず、驚きながら聞いていました。私もつい「患者理解などという言葉は医学教育ではまず言われないのですよ」と一言だけ口を挟んでしまったところ、師長さんは「これまであんなに看護師と医師がすれ違っていたわけが、やっとわかりました」と驚いておられました(講習会終了時に参加者全員が感想を述べる場でもそのことを言っておられましたから、よほど「感動」されたのでしょう)。そして、そのあとに、「それにしては(そんな教育をなにも受けていないにしては)先生方が患者さんの気持ちについていろいろ考えていることに驚きました。先生方ってすごいですね」とも(医者としては、この感想に喜ぶべきか悲しむべきか) 2)
 医者はそもそもこうした教育を受けていないのですが、十分学んできたはずの看護師でもそれを十分生かせていないと感じることが時々(しばしば?)あります。研修医と同様、現場で経験を積むうちに感性が鈍麻していくということはあるでしょう。鈍麻は必ず起きるのだから、どうすれば少しでもそれを防げるかについての教育の方こそ欠かせないと思いますが、そこには触れられないことが多いのかもしれません。

 「最近の看護師さんは、昔よりトゲトゲしくなっている感じがしますね」と、知り合いの建築士さんから言われました。この建築士さんは、45年前から武蔵野赤十字病院の設計に何度も関わって下さり、現在も4度目の建築計画に携わってくれています。他にもいくつかの大きな病院の建築に今も関わっておられますが、どの病院でも設計にあたっては十分に職員と議論を積み重ねておられますので、そこで抱かれた感想なのでしょう 3)。「トゲトゲしくなっている」原因は、入院期間の短縮やコンピュータ化などいくつも挙げられると思いますが、いずれにしても医療の世界と接点を持ち続けている非医療者の感覚のほうが実態に近いのだと思います。
 「トゲトゲしさ」は、建築の打ち合わせでは漏れ出ても、もしかしたら患者さんに対してはうまく秘められていて、そのぶん、患者以外の人に対して、抱え込んでいるトゲトゲしさがにじみ出てしまうのかもしれません。でも、旧知の看護師(80歳台)は「私は、良い時に看護をしていたと思ったの。せんだって骨折で入院したんだけど、確かにみんな『優しい』のよ。でも、『心が無い』っていう感じなの。笑顔と言葉だけっていう感じで、コンピュータばかりみて、とりとめのない話もできないのよ。私の時代は、あんなふうじゃなかったのに」と言っていました(No.329で書きました)。建築士さんの話は、この元看護師の話とは通じています。その底には、「トゲトゲしい」状況に置かれている看護師たちの現実があります。
 もちろん、みんな頑張っています。笑顔と優しい言葉は以前よりずっと多くなりました。言葉遣いも丁寧になりました。その感情労働に疲れてしまう人も少なくないほどです。看護師はみんな患者さんの脇にしゃがんで、患者さんより目の高さを低くして話すようになりました(年のせいで、立ったりしゃがんだりを繰り返すことがしんどくなっている私は、それだけでも「大変だな」と感心しています)。大きな病院では早期退院が求められ、親しくなる前に患者さんがいなくなってしまいます。親しくゆっくりと話す時間を生みだすことは容易ではありません。そのための「行き違い」からの「トラブル」も増えているような気がします。医療安全のための細かい手順が定められて、「落ち」が無いようにと気が抜けません(そちらが優先されます、安全第一ですから)。コンピュータ抜きに医療ができませんので、コンピュータに時間と「気」を使います。「働き方改革」で時間外を少なくするためには「無駄」を減らさなければなりませんが、患者さんとの雑談をやむを得ず「切捨てる」(あるいは、無駄の一番目のものと考える)人が出てきても仕方ありません。
 骨折は、武蔵野赤十字病院に入院する人のうちでは軽症の患者です。そうだけれど、彼女ががっかりしたのも事実です 4)
 あれもこれもと目配りしなければならない今の病院管理者たちは大変だろうなと思いますが、こんな時代だからこそ、院長や看護部長には(年長の医師や看護師にも)、若い職員に「医療の夢(患者さんをケアすることはこんなに楽しいことなんだよ。楽しくケアのできる病院になろうよ)」を語り続けることが欠かせないのではないでしょうか。(2022.02)

1) 患者との関わり合いの中で気になった会話や行動を振り返り、患者の言動は何を意味していたのか、自分の言動が患者にどのような影響を与えたのか、状況に応じて適切な回答ができたのかなどを具体的に文章にして記録用紙に書き込むもので、多くの看護教育現場で用いられています(初めて見た時、私は「面倒くさっ!」と思いましたが)。医学教育でポートフォリオが使われるようになってきましたが、そこに患者とのコミュニケーションや「患者理解」が入る余地はごくわずかしかなさそうです。

2) 指導医養成講習会が「つまらない」「意味がない」といった意見はずっと耳にしてきました。参加者が医者だけでは限界があるのです。多職種の人が参加することではじめて得られるもの(医師以外の人の目にしか見えないもの)があり、私などはむしろそのために講習会のお手伝いをしてきました。そもそも、研修医の指導は病院全体で行うものなのですから(医療専門職だけではなく、文字通りすべての職種の人です)。

3) ある(大きな)病院で「患者さんの意見は?」と言ったところ、副院長に「『患者の意見』など聞く必要がない」と言われたという話を、この建築士さんがしてくれました。前後の文脈もあるとは思いますが、この言いようはきっとその人の「ホンネ」なのでしょう。「道遠し」と思うか「世代交代間近」と思うかですが。

4) この看護師は武蔵野で夜勤婦長(婦長と言っていた時代です)を何年も続けていましたので、スタッフたちは気を遣って接していたことでしょう(その時代を知っているのはもう看護師長たちだけですが、師長はスタッフにそのことを言っていたでしょう)。そのことで、格別に「優しく」される場合も「敬遠」されてしまう場合もあるでしょうが、どうだったのでしょうか。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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