No.375 心の傷
コラム目次へ 市の乳児健診で介助に付いてくれた看護師さんから「Aクリニックの仕事は続けているのですか」と尋ねられることが、このところ2回続きました。最近はもう健診しか医者の仕事はしていないと言うと、「まあ、残念。先生は丁寧に話を聞いてくれるので、安心するお母さんたちも多かったのに」と異口同音に言ってもらいました(一人は、Aクリニックで働いていた時に私の診療を見ていたとのことです)。
その言葉に、なにかコミュニケーションのテストに合格したようで、救われた気がしました。そして、やはりコミュニケーションのポイントは「丁寧に話を聞く」ことなのだとあらためて知らされました。OSCEばかりに目を向けていると、そのことは伝わりにくいでしょう 1)。でも、このエピソードを私は「合格自慢」をするために書いているわけではありません。あの言葉に少し救われた気がしたのは、それとは逆の思いに日々捉われているからです。常勤の医者を辞めて8年以上たった今でも、診断を間違った苦い思い出/不適切な治療・不十分な治療しかできなかった後悔(当然ですが患者さんへの申しわけない気持ちが貼り付いています)、言わなくても良いこと(言わないほうが良いこと)を言ってしまった反省(言うべきことを言わなかった反省もあります)、そういった40年間の記憶が「取れない刺」のように繰り返し順繰りに心に浮かんできます。定年を迎えて定職に就かなかったのには、そんな自分は藪医者だという思いが大きかったからです。
指導者養成講習会のSEAセッション(SEA=有意事象分析:これまでの医療者の人生で印象深かった出来事を呈示して、みんなで話し合う)で、自分の経験した「つらい」事例を説明しているうちに泣き出して、しばらく収拾がつかなくなった看護師さんがいました。彼女は、その思いをずっと抱え込み続けてきたのでしょう、きっと混沌としたまま。あるいは時の経過とともに思いは膨らんでいたのかもしれません。
医療者は誰もが、自分が関わったつらい経験の痛みを抱えながら生きています。「失敗」や「手落ち」、患者さんとの「行き違い」は当然にもつらい経験となりますし、それを経験しない人はいません(「私は失敗しませんから」などと言える優秀な医療者は存在しません)。が、自分の診療やケアに手落ちがなくとも、とても良いケアができても、人の生き死に立ち会うことはつらい経験です。現場にとどまるということは、多少なりとも、そのつらい思いを見ないようにして、あるいは感覚を「鈍麻」させて生きるということでもあります。でも、どんなに見ないようにしていても、心は傷ついています。現場にとどまる限り傷は重なり、瘢痕が増えていきます。この傷の痛みは、時に何かのきっかけで甦ります。同じ病状の患者さんを受け持つことや関係する医学論文を読めば甦るのは当然ですが、診察中の患者さんの一言でも、誰かとの雑談中でも、テレビドラマやニュースでも、何かの言葉が引き金になって痛みが甦ることも少なくないのです。そのたびに心は動揺します。かすかに鳴り続いていた不穏な通奏低音が急に大きくなります。患者さんと医療者との「すれ違い」はこういうところから生まれることもありうるのでしょう。
以前、ある病院で医療コミュニケーションについての講演をする前に、主催者から「今日は、患者さんとの関係がうまくいかなくて裁判を抱えている医師がいるので、配慮をよろしく」と言われたことがあります。「良いコミュニケーションは信頼関係を作るためには不可欠です。結果として、トラブルを避けることにもなります」という表現のニュアンスを少し変えたと思います(具体的な言葉は忘れてしまいましたが)。今でも講演ではそのように言い続けていますが(つい先日も話しました)、そうした言葉が、瘢痕化して見ないようにしていた傷跡を直視させてしまう危険や、かさぶたを剥がしてしまう危険があることについては忘れないようにしたい。(2021.08)
1) ロールプレイには人の心をうごかす大きな力があるということが坂上香監督の映画『プリズン・サークル』(2019)で描かれていることを、村上靖彦(『ケアとは何か』中公新書2021)とブレイディみかこ(『他者の靴を履く』文藝春秋2021)が相次いで紹介しています。この映画は、犯罪加害者同士でロールプレイを行っている記録ですから、医学教育にそのまま当て嵌めるわけにはいきませんが、研修医や医学生同士のロールプレイ演習には、彼らが患者体験をするという、模擬患者が参加するシミュレーション演習では得られない効果があります(私は、ロールプレイとシミュレーション演習との両方がそろってはじめて医療面接演習が意味を持つと考えています)。演習がOSCEに偏ってしまったり、指導者から見て「都合の良い」模擬患者を選んでしまったりしていては(No.374参照)、せっかくの演習が「もったいない」。
「このロールプレイのシーンを見ていると、演技が「I(アイ=自分)」の獲得だけでなく、エンパシーという能力を向上させる機能もあることがよくわかる。」(ブレイディみかこ前掲書)
日下 隼人