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No.420 トラウマは凍結される

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 「患者(家族)って、ずいぶん時間が経って、忘れたころに“文句”を言ってくる」とSNSに書いている医者がいました。

 事故があった時、診療のプロセスに不満があった時に、当の患者さん/家族はすぐに“文句”が言えると思っているのでしょうか。性犯罪被害者に対して「どうして、ついていったのか」「どうして、その場で拒まなかったのか」「どうして、すぐに訴えなかったのか」といった言葉が投げかけられるのと、同じ構造がここにはあります。

 患者さんに重大な事態が起きた時、当事者はその混乱のなかで、次々と起きてくる事態への対応に追われるばかりです。心は、異常興奮状態、催眠状態、感情鈍麻が交じり合っていると思います。
 心が落ち着き、「冷静に」事態をふりかえるには時間がかかります。それは、医者のたった一言についての違和感でさえも同じです。思い/考えが形になってくるには、何か月も、もしかしたら何年もかかるかもしれません。
 その時、記憶は自分が受け入れやすいよう「修正」されますが、「トラウマは過去のものにならない凍結されたままの記憶」なのだそうです(信田さよ子『暴力とアディクション』青土社2024)。

 「ケガから回復して、そのことを思い出した彼女は、「あの時私はものすごく痛かったのだ」と気づいたという」「暴力被害者は、DVや虐待の脅威がなくなり危険性が去ってから痛みを訴えるようになる」(信田)。
 信田さんは、その理由について二つの仮説を立てています。
 「一つは、被害を受けたときは恐怖・驚愕によって一種の解離が生じ痛みを感じなかった。・・・・もう一つは、痛みを痛みと感じるには承認が必要だ・・・。(承認をするのは他者のことも自己のこともある)」

 痛みに気づいてから、凍結された記憶はゆっくり膨らみ続けていくのかもしれません。
 事故があった場合はもちろんですが、突然の思いがけない重篤な事態の場合でも同じです。いや、自分も満足しているゆっくりした事態でさえ、そこに何もトラウマがなかったということはありえません。
 どんなに医療者が善意に満ちていても、何もコンフリクトが起きなかった場合でも、患者さんが心から医者に感謝している場合でも、避けがたく患者さんの心にトラウマを与えてしまうのが医療の場です 1)
 患者さんが亡くなっている場合、記憶を抱き続け、その意味を考え続け、治療をうけていたときの違和感を抱き続けることは、「喪の仕事」でもあるのだと思います。「喪の仕事」には、3年はかかるのです。

 そんな人の思いに気づかないまま医者を続けることは可能です。患者さんが「退院」してからの生活、そこでの思いの変化は、目を凝らしていなければ見えません。患者さんが診察室から出ていった先にある患者さんの暮らし(そのほうが、患者さんの人生の大半なのに)を見ない(見えない/見ようとしない)医者は、残念ながら少なくありません(大きな基幹病院の医者を念頭に置いています)。

 ずいぶん時間が経ってからの「あの時からわたしたちの時間は止まっています」「あの時から前へ進めないでいます」2) という患者さん/家族の言葉は、「あの時」の後も医者としての日常が途切れずに続いている医者には「なんでいまごろ」「まだ言うの」としか聞こえません(しばしば非難されているとしか感じません)。
 「そうだろうな」「やっとここまで言えるようになったのだな(良かった)」という思いに裏打ちされない医者の言葉/謝罪は、患者さん/家族の心には届きません。(2024.06)

1) 医者は、大学を卒業したとたん(社会経験の乏しい若造なのに)、他人の“いのち”の生殺与奪権を手にし、その人生に“善意”から全面的に介入し、その生を差配する力を持ってしまいます。間もなく医者はその“恐ろしさ”を感じなくなり、それにつれて「尊大」になります。そのような医者に対して、患者は自分の“からだ”、“いのち”を差し出すしかありません。インフォームド・コンセントや「患者の権利」などもその構造を補完する側面のほうがずっと大きい。病気になること自体がトラウマなのに、医者によってトラウマが上塗りされて行きます。

2) 記憶/トラウマはその日にピン止めされ、その日のカレンダーはめくられないままになっているのです。医者だって、そんな経験がないわけではないでしょうに。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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