メインビジュアル

No.424 「忘れたころに“文句”を言ってくる」?

コラム目次へ

 「患者(家族)って、ずいぶん時間が経って、忘れたころに“文句”を言ってくる」とSNSに書いている医者がいました。
 事故があった時、診療のプロセスに不満があった時に、当の患者さん/家族はすぐに“文句”が言えるとこの医者は思っているのでしょうか。医者は忘れていても、患者さん/家族は忘れてはいません。
 性犯罪被害者に対して「どうして、ついていったのか」「どうして、その場で拒まなかったのか」「どうして、すぐに訴えなかったのか」といった言葉が投げかけられるのと、同じ構造がここにはあります。「すぐに言えばよいのに」と言うこと自体が加害的です。

 患者さんに重大な事態が起きた時、当事者はその混乱のなかで、次々と起きてくる事態に対して「とりあえず」の対応に追われるばかりです。心は、異常興奮状態、催眠状態、感情鈍麻が交じり合います。
 そんな時には、何をどう言えば良いのか分かりません。怖くて、言い出すだけの「勇気」がでません。自分のほうが悪かったのか思うこともあります。心が落ち着き、少しは事態をふりかえるまでには時間がかかります。
 それは、医療者のたった一言についての違和感でさえも同じです。思い/考えが形になってくるには、何か月も、もしかしたら何年もかかるかもしれません。

 その時、記憶は自分が受け入れやすいよう「修正」されますが、トラウマ自体は「過去のものにならない凍結されたままの記憶」にとどまるそうです(信田さよ子『暴力とアディクション』青土社2024)。
 「ケガから回復して、そのことを思い出した彼女は、「あの時私はものすごく痛かったのだ」と気づいたという」「暴力被害者は、DVや虐待の脅威がなくなり危険性が去ってから痛みを訴えるようになる」(信田)。
 信田さんは、その理由について二つの仮説を立てています。
 「一つは、被害を受けたときは恐怖・驚愕によって一種の解離が生じ痛みを感じなかった。・・・・もう一つは、痛みを痛みと感じるには承認が必要だ・・・。(承認をするのは他者のことも自己のこともある)」
 患者さん/家族も、時間が経ってはじめて「痛みを訴えるようになった」のでしょう。痛みに気づいてから、凍結された記憶はゆっくり膨らみ続けていくのかもしれません。

 事故があった場合はもちろんですが、突然の思いがけない重篤な事態の場合でも同じです。いや、自分も満足している(突発的ではない時間的余裕のあった)事態でさえ、そこに何もトラウマがなかったということはありえません。
 どんなに医療者が善意に満ちていても、何もコンフリクトが起きなかった場合でも、患者さんが心から医者に感謝している場合でも、避けがたく患者さんの心にトラウマを与えてしまうのが医療の場です 1)
 患者さんが亡くなっている場合、記憶を抱き続け、その意味を考え続け、治療をうけていたときの違和感を抱き続けることは、「喪の仕事」でもあるのだと思います。「喪の仕事」は何年もかかり、きっと残された人生のすべての時間がかかります。
 そんな人の思いに気づかないまま医者を続けることは可能です。患者さんが「退院」してからの生活、そこでの思いの変化は、目を凝らしていなければ見えません。患者さんが診察室から出ていった先にあるその人の暮らし(そのほうが、患者さんの人生の大半なのに)を見ない(見えない/見ようとしない)医者は、残念なことに少なくありません(大きな基幹病院の医者を念頭に置いています)。

 ずいぶん時間が経ってからの「あの時からわたしたちの時間は止まっています」「あの時から前へ進めないでいます」2) という患者さん/家族の言葉に対して、「あの時」の後も医者としての日常が途切れずに続いている医者は「なんでいまごろ」「まだ言うの」などと思ってしまいます(しばしば非難されていると感じます)。
 「そうだろうな」「やっとここまで言えるようになったのだな(良かった!)」という思いに裏打ちされない医者の言葉(謝罪を含む)は、患者さん/家族の心には届きません。(2024.10)

1) 医療は、他人の“いのち”を左右し、その人生に“善意”から全面的に介入し、その生を差配するものです。それがtraumaticでないはずがありません。患者さんには、病気になるというトラウマに医療/医者によるトラウマが上塗りされて行きます。
 しかも医者は、大学を卒業したとたん(社会経験の乏しい若造なのに)その強大な力を手にし、すぐにそのことに慣れてしまいます(自らの「権力」に無自覚であるかぎり「尊大」になるしかありません)。そのような医者に対して、患者は自分の“からだ”、“いのち”を差し出すしかないのです。インフォームド・コンセントや「患者の権利」などもその構造を補完する側面のほうがずっと大きい(チーム医療ではその構造が見かけを変えて保持される)。

2) 医療事故などの場合に限らず、大切な人/モノの「喪失」、大事な場面での「悔い」は、いつまでもその時にピン止めされ、そこで時間は多少なりとも止まり続けます。そのことに思いを馳せたい。
 「死別体験直後の強い感情の嵐は何年たってもおさまることなく、内部で吹き荒れているのである。そしてその感情は、周囲に対して何年も隠されている。」安克昌『心の傷を癒すということ』角川ソフィア文庫2001
 嵐が起きるのは「死別」に限らないと思います。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

● コラムNo.230 までは、東京SP研究会ウェブサイトにアクセスします。