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No.261 「それ、あかんやん」

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 「人(を)喜ばせるために生きたらあかんやろ。それ、あかんやん。人に喜ばれへんようになったら、その人(を)恨んでしまう」(連続テレビドラマ「てるてる家族」103回/和人の言葉)
 「人のために」と言うのも同じです。研修医の採用試験で医師を志した理由を尋ねると「人の役に立つ仕事をしたいと思った」「人を喜ばせたい」と答える学生がたくさんいます。試験対策的に無難な答えで、そんなふうに言うだけなのかもしれのせんが、「人を喜ばせたい」という気持ちは案外ずっと心の中に生き続けていて、自分の思いとズレた患者の言動や自分を非難する患者に怒ってしまう(恨んでしまう)ということがあるのではないでしょうか。「それ、あかんやん」ということを伝えるのは私たちの仕事です。「人(を)喜ばせるために生きたらあかんやろ」というところから歩みだす方が、患者さんとのつきあいが生まれると思います。人は、誰でも自分のことが、一番です。自分が「嬉しくなる」ことが一番です。「人を喜ばせる」ことには自分の生きている意味を支えてくれる力があり、それを感じられるときに人はそのような生き方を選びます。
 患者さんだって、自分のことが一番です。自分の思いを感じとってほしいとは思いますが、医者と「肝胆相照らすつきあい」をしたいわけではないでしょう。「病い」でつらい時に濃密な人間関係を作るというような負担が増えるのは疲れてしまうだけです。まして、頼みもしないのに親しげに近寄ってくる人は、避けたい。「あなたのことを心配しているから」と過干渉するような人は御免です。医者としてちゃんと診断を付けて、うまく治してくれればそれでよい(「きちんと」の中には、「わかりやすい言葉で、わかるように説明する」ということももちろん入ります)。
 でも、つらい状況を生きているのだから、自分の希望には応えてほしい。応えてくれない人、応えようとしてくれない人を振り向かせたい。「人間らしく付き合ってほしい」というような大上段からの患者さんの言葉は、そのような思いを表していることのほうが多いのでしょう。実際のところは「してほしいということはしてほしいし、いやだということはしないでほしい(できたら、どちらも察してほしい)」。ほどよい距離で見守り、つかず離れず付き合ってくれれば良いのです(「良い加減」です)。
 人は病んだ時には自分ことしか考えていませんし、「自分のため」をすべての根拠とする「わがままな」存在です(他人のことにいろいろ気を配る人はいますが、その人はそうするほうが「自分のため」になっているのです)。「治らない」ような時には、その思いは大きくなります。「甘える」こと・「わがまま」であることは「患者の権利」です(甘えとわがままは違うものですが)。この「権利」は、「義務を伴う」というものではありません(権利を主張するだけで良いのです)。

 医者も、当然自分のことが第一です。給与や学問的業績を含めて、患者は自分のアイデンティティを確保するための貴重な「ツール」です。難しい病気の診断をつけること、治療がうまくいって患者に感謝されること、患者の人生と関わることで意義ある仕事をしているという満足感を得ること、患者の人生と関わることで人生の意味を知ること、こうしたことが合わさって生きがいが得られます。そういったことのどれもがアイデンティティを支え、強化します。A.アドラーなら、そこに「患者を自分の力の対象にすることで、分裂した元型を一つにしようとする『力への欲動』」を見るのかもしれません。献身的にかかわる医師は少なくありませんが、それはそうすることが「自分のため」になるからです(そのような生き方をする自分が愛おしい)。医療者は患者の親友になるために仕事をしているわけではありませんし、いつまでも「他人のため」とばかりは思ってはいられません。そのような人は、そのことで間違いなく危うい。
 医療の場の圧倒的に多くの人間関係は、M.ブーバーの言う「われ-それ関係」で進行しますし、それで十分「良い関係」になっています。カントは「それは仮言命法に従っているだけだ」と許してくれないでしょうが、それで良いのです。たまたま「われ-なんじ関係」が生まれてしまうことがありますが、それは専門家として求められる仕事をきちんとしているときに、ごく稀有な出来事として「起こってしまう」ことです。「必要なタイミングで出会うべくして出会って、お互いに必要な何かを渡し合い、役割を終えると離れていく、魂の友のような存在」(ディーン・フジオカ)同士となる出会いはあり得ますが、それは両者にとって「自分のため」という思いがたまたまうまくマッチしたということなのでしょう。患者と医療者が連帯する細い回路は、それぞれが「自分のために」生きていることをしっかりと自覚するところから通じていくものなのではないでしょうか。

 ドラマ「てるてる家族」では、こんな言葉もありました。目新しいパンを次々に作ろうと提案するヒロインの冬子に、恋人の和人が言います。「お客さんが飽きるからいうて、どんどんどんどん新しいパン作ってたら、その店の姿勢にお客さんは飽きてしまうねん。何べん食べても食べ飽きひんパンを俺らは手間暇かけて作ったらええねん」(134回) 医学教育の世界でも、次々に新しい教育の試みが提案されています。その奥の姿勢に筋が通っていれば良いのでしょうが。(2016.12)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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