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No.433 尊厳死と社会保険料給付抑制/「迷惑をかけたくない」

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 「子どもたち(周囲の人)に迷惑をかけたくないから死にたい」などと「言わせてしまう」社会のありようをおかしいと思わない政治家を信じていて良いのでしょうか。その言葉を、言質のようにして「肯定」してしまうことが国民の声を聴くということでしょうか。
 人は生まれたときから他人の世話になっています(迷惑をかけています)。人の世は、お互いに迷惑を掛け合い助け合う「おたがいさま」の世の中です。人生の最期の場面でいろいろな人に助けられる(迷惑をかける)ことがどうしていけないのでしょう。「迷惑をかけたくない」という思いは人生を狭めてしまいます。
 「子どもに迷惑をかける」と心配する患者さんの思いは、「家(族)の中で解決せよ」と迫られているからです。こんなことこそ公助で対応すべきことなのではないでしょうか。

 戸谷洋志さんは、イギリスのサッチャー首相が「自分自身への責任を引き受ける覚悟」を「人生の美しさ」であると述べたことについて、そのことで人は社会的連帯から遠ざかると書いています。
 「サッチャーによれば、「社会などというものは存在しない」からだ。社会を担っているのは、国家を構成する具体的な個人としての他者たちなのである。そうした他者たちに迷惑をかけながら生きることは、美徳に反している。彼女はそう主張している。
 この発言の政治的な目的は、・・・国民が国家から社会保障を求めないようにすること、社会保障に頼ることが恥だとする価値観を内面化させること、それによって、国家の財政負担を軽減すること。それは、社会保障を縮小させ、国家の機能を至上の自由競争に委ねようとする新自由主義の思想を、下支えする。・・・・自己責任論を内面化させた人々は、他者を頼ることを自発的に諦めるようになる。他者を頼るという選択肢は、最初から存在しないものとして考える。」(「「親ガチャ」と自己責任論」現代思想 特集「〈子ども〉を考える」52-5 2024)

 現実にはいろいろなことがあるにしても、医療者は人の命が永らえるように頑張る存在だという立ち位置を離れたくありません。離れたところで、患者さんとの間に信頼関係は生まれないと思います。どのような人に対してであれ、「迷惑なんかじゃないですよ。あなたが生きていることこそが、私たちにとってありがたいことなんです」と言える社会ではいけないのでしょうか。そう言う医療者がケアする人だと思います 1)。(2025.02)

1) 高田一宏さんは「あんたは良い成績をとらんでも、あんたであるだけで価値があんねん」という小学校教諭の言葉を紹介しています(『新自由主義と教育改革 大阪から問う』岩波新書2024)。「どんな状態でも、あんたが生きているだけで/あんたであるだけで、価値があんねん」という言葉と、尊厳死/安楽死とは共存できそうにありません。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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