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No.284 英語でカンファ・英語で回診

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 256でも書いたことですが、最近では英語でカンファレンスをしている医局があります。英語による国内の学会発表も増えてきています。
 けれども、患者さんの悩みや社会的問題の微妙なところについてまで英語で表現することは難しいでしょう。人間関係の心の綾について表現することは、母国語でも難しいものです。難しければ、そのようなことはカンファレンスでは呈示されなくなります。受持医ないし受持ちチームが、「個人的」に解決するしかなくなり、その診療科全体として議論されることはなくなってしまいます。全員で学び合うことはできません。おそらくその必要性を感じていないのでしょう。
 患者さんにしてみれば、日本語で話した自分の悩みや社会的な問題がなぜ英語で語られなければならないのか訝しく思うでしょう。なにか納得いかず、なんとなく不愉快です(とんてもなく不愉快な人もいるはずです)。医療者が英語で議論しているということは、きっと自分のそのような問題については本気で考えてくれないのだと感じるのが普通です。グローバルという言葉で、医師が外の世界のほうを向いていて、現実の目の前の患者さんに背を向けるという事態はおかしくはないでしょうか。そこには、「患者さんがカンファレンスに参加できるような医療をしてみよう」というような考えが入り込む余地はありません。
 実際に大学で英語でのカンファレンスに参加した学生は「途中からついていけなくなった」と言っていました。大学なのに、医学生の教育を放棄しているのでしょうか。「英語ができるようになれ!」と言われるのかもしれませんが、勉強すべきことが膨大にある学生たちなのに、と思います。

 「私がオランダで働いていたある日、お昼のお弁当を温めようと給湯室に行くと二人オランダ人同僚がオランダ語で話していた。私が電子レンジを使おうとしたら、会話が突然英語に変わった。エッと思ってなぜか同僚に聞いたら『そばで知らない言語で会話をされるのは気分が良くないと思って』と言ってくれた」というツィートを目にしました。英語で回診する医師の感性は、このオランダの女性たちの感性とは正反対のものです。目の前の人を「相棒」と見るか、自分が支配する人と見るかの違いです。
 グローバリゼーションとは、このオランダの人のような感覚を身に付けることなしには生まれないのではないでしょうか。 (2017.10)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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