No.431 尊厳死と社会保険料抑制/自己決定権
コラム目次へ 2024年10月の衆議院選挙の際、ある政党の代表が与野党の討論会で「社会保障の保険料を下げるために、我々は高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて、医療給付を抑えて、若い人の社会保険料給付を抑えることが、じつは消費を活性化し、次の好循環と賃金上昇をうながすと思っている」と語ったそうです 1)。「高齢者は集団自決せよ」という某「経済学者」の言葉と本質的に同じです。
この言葉について補足する意味で、同党の国会議員が「「〇歳以上になった人は一律リタイアしてもらう」といういわゆる姥捨山的なものではなくて、「子どもたちに迷惑をかけたくないから死にたい」という方々に選択肢を与える、自己決定権の問題(それこそ“選択的”夫婦別姓とかと同じ)だと思う」と書きました。この政治家は、夫婦別姓の選択と「生死」の選択を同列に考えて、政治に関わっているのでしょうか。
どちらも、すぐに批判が噴出しました。当の政治家は「1分でまとめなければならなかったので、雑な説明になってしまった」と弁解したようですが、「1分でまとめた」からこそ、そこに本質が端的に表れました。ここには、“爽やかな”ほどの正直さ/ホンネが表れています。こんな時に「正直」な発言をする人は「貴重」です(褒めていません)。
そして「尊厳死は自己決定権の問題として捉えています」という弁解が続きます。でも、これは「尊厳死の法制化」→「社会保険料給付の抑制・消費の活性化・賃金上昇」の間に「自己決定権」を入れただけで、発言の論旨は変わっていません(目くらましにさえもなっていません)。
尊厳死/安楽死には「自己決定」「自律」という言葉がいつも金科玉条のように張り付いてきます 2)。この間、立て続けに報道された「耐えがたい痛み」「この先、悪化するしかない病に耐えられない」ことに対しての安楽死が選択されること地続きですが、更に歩を進めています。
政治家たちは、「税金を安くする」ということと社会保障費の削減ということとを別のこととして考えてくれるでしょうか。私たちは、そのように考えることができるでしょうか。ここには、世代間の相克が生まれかねない(現に生まれつつある)不安もあります。
高齢者医療の抑制、その先に「安楽死/尊厳死」の推進、「無駄/過剰な医療」という言葉で医療全体が手薄になっていくことへの歯止めは作れるのでしょうか。高額療養費制度の上限引き上げ(案)が検討されていますが、その第一歩です。高齢者だけではなく、若い人も対象です。
例によって、この発言を報じたニュースに対して、賛成のコメントが溢れてきています。
「悲惨な」姿は見たくない/かわいそうだ、「寝たきりで意識もないまま管でつながれる」家族は見ていられない(いられなかった)し、自分も拒みたいという意見が多数。
社会の経済的な負荷を減らしたいとする意見も多く、「最後まで治療を受けてもいいけれど、その場合には半額自己負担とせよ」という意見まで出てきました(さすがに全額と言うのは憚ったのでしょう)。
書いている人は、きっとまだこのような事態とは縁遠い人です(当事者は、コメントなど書いていられない)。「明日は自分がそうなるかもしれない」とは思っていないから、このように言えるのではないでしょうか。「無知のヴェール」(ジョン・ロールズ)をかぶったりはしていないのです(「自分なら、こんなふうに生きたくない」というのは「無知のヴェール」ではありません)。
しかも、自分が「下手人」にはなりたくないので(疚しいので)、「医者にやらせよう」ということです。医者の仕事の中に「人の生命を短くすることを入れる」ことが、先になって自分の生命を縮めることに繋がるかもしれないとは考えていないでしょう。
ここでは「社会保障」の枠の中でのパイの振り分けが語られているだけです。そもそも総支出の分配がこれで良いのかということは語られていません(防衛費の倍増などについてはそのまま肯定されています/なんだかもっと増えそうな雰囲気です)。若い人の負担を減らすために、別の人たち(高齢者だけのことではありません)の医療費を削る=命を縮める社会は、「穏やかで平和な」社会になるのか「居心地の悪い」「殺伐とした」社会になるのかという議論こそ必要だと思います。(2025.02)
1) こういうのって、この政党の人はみんな率先して実践するのでしょうか? 尊厳死/安楽死を「迫られる」のは、多くの場合「上級国民(下品な言葉!)」ではない人たちです。「上級国民」の人たちは、「延命を求める」「手厚い介護を受ける」自己決定権も手にしているのですから。
「経済的な格差は寿命の格差に直結する」酒井順子『消費される階級』集英社2024
2) 「死への自己決定」は、自己決定、自律を不動の価値とするリベラリズムがあり、だから欧米ではリベラリストのほうが強く主張しているそうです。このあたりのことについては、児玉真美さんが分かりやすく詳しく書いておられます。『安楽死が合法の国で起こっていること』ちくま新書2023
日下 隼人