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No.311 「共話」と「対話」

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 日本語の会話では、話し手の言葉が終わるのを待たずに、聞き手が相手の語句の切れ目ごとに「ええ」「はあ」「はい」などの相槌をはさんで話を進めること、未完成の話し手の文を聞き手が引き取って言葉を加えたり完成させたりして相手と共同で会話を進めていくことが多いと、言語学者の水谷信子さんは言います。彼女は、それを「共話」と名付けています(「日本人とディベート 『共話』と対話」日本語学14-6 1995)。「日本語の個人的な話し合いの基本は、句読点のようにあいづちを頻繁に打って、相手の理解を確かめ、相手の言おうとすることを絶えず察し、ときには先取りして後を続けるというタイプの話し方である。対話では話し手と聞き手の二者がそれぞれ自分の発言を自分で完成するので、二本の話の流れが見られるが、共話では、話し手と聞き手の二者が対立せず、渾然一体となって一本の流れをつくる。」「終助詞の「ね」や、他のものの存在を暗示する「など」「とか」「たりして」等の表現も、共通の理解を前提とするものであるから、共話的な話し方に関係があるとされている。」(水谷「『共話』から『対話』へ」日本語学12-4 1993)



(例1)
先生、
― はい 1)

あのう、お忙しいところ、まことに恐れ入りますが…
― いえ、いいですよ。

この作文のことなんですが…
― はい。

ちょっと見て直していただけないでしょうか。


(例2)
―きのうは上野へ花見にね、
―ああ、いらしたんですか。
(例はいずれも水谷による)
(中略)



 「共話では、共通の理解を前提とし、相手の賛同や同感も得られるものとして、『~だよね!』と、『うんうん』『そうそう』のあいづちの連鎖により会話が進められていく」のですが、水谷さんはむしろ対話が必要であると言います。「『共話』から『対話』へという切り替えは、いわば知っている者同士の話し合いから知らない者同士の話し合いへの切り替えであり、分かり合っている者同士の話し合いから、分かり合えるかどうか分からない者同士の話し合いへという切り替えである」。(同 1993)
 コミュニケーションでは相槌が大切だと誰もが言います。でも、No. 190でも書いたことですが、上下関係(権威勾配)のあるところでは、相手の話を聴く時の相槌の打ち方も「聞いてあげているよ」という上からの印象を与えてしまうものが少なくありません。「うん、うん」は圧倒的に上からの印象ですが、「ふーん」「ほうほう」なども「上から」の印象を伴います(「~だよね」も「そうそう」も、そうかも)。「承認」の言葉は対等な関係になりにくく、「よしよし」という雰囲気の「上からの」承認か、「ごもっとも、ごもっとも」という「下からの」承認になりがちです。「なるほどね」「そうなんですね」「そうだったんですか」というような言葉を使うしかないのかもしれませんが、「なるほど」も元々は「上から」の言葉です。
 相槌は「誘導」につながる危険も伴います。話し手は、相手の相槌を聞いて、その姿勢を感じとり、相手との位置取りをします。言葉だけでなく、声の調子、表情、姿勢や身のこなしといったものも参照して、お互いが自らの言葉を補正していきます。相手の話に異を唱えるような相槌(「なんですって」「ええっ」のような)を打てば相手の人は以後そのような話を避けてしまうこともあるでしょうし、同意する相槌(「それは良い」「そう思いますよね」「それがふつうですね」「そうですよね」のような)を打てば以後そのように相槌を打ってもらえそうな話を選んでしまうかもしれません。「こんなひどいことがあったんですよ」という言葉に「それはひどい」と返事してしまえば(「まあ」と言うだけでも眉を顰めるだけでも)、もう「別の見方」「別の考え方」もあるのではないかという話し合いはできなくなります。こんなとき、同意の相槌をうたなければ「共感してもらえない」と受け取られそうですし、「別の見方もできるのでは」と言えば「いちいち『異議』をさしはさむ鬱陶しいヤツ」と思われそうです。

 医療の場での「共話」は、実質的には話の主導権を医療者がとってしまうことになり、丁寧に聴いたつもりでも一面的な話しか聞けていなかったということもありそうです。共感の相槌と強制の相槌は紙一重であり、共話は抑圧的なものになりがちです。「渾然一体となって一本の流れをつくる」ことは、むしろ危険なのでしょう。もともと、上下の関係のない人間関係自体がごくまれなのですから、私たちはこの枷から逃れることは難しいのかもしれません。
 そうだとすると、医療面接で相槌をはさまずにずっと黙って聞いていることも悪いとは言えないのですが、「この国」の付き合いから考えると相槌を打たないのは(患者さんにとっても医療者にとっても)とても不自然で、患者さんはそれだけで違和感を抱いてしまうでしょう(ちなみに英語圏では、上の例1では先生は何も言葉をはさまずに聞いているそうです)。どのような相槌を打つべきか、最近私が一瞬ためらうのはただの老化のためかもしれませんが。(2018.12)

1) 水谷つながりで思い出したというわけでもありませんが、テレビドラマ「相棒」の杉下右京は、しばしば「はい⤴」という返事をします。彼の場合、この言い方で相手の言葉に対する疑義・否定の思いを表します。このような分析は語用論が得意とする分野ですが。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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