No.451 カリキュラム・プラニングはもう不要??
コラム目次へ 伝え聞いたところ、医学教育学会総会の演題では指導医養成講習会での「カリキュラム・プラニング」は「もう不要だ」という意見が出てきているそうです。そうすると講習会は講義と指導技法の伝達になってしまいそうです。
ガイドラインでカリキュラムが具体的に呈示されたからということなのでしようか。
でも、ガイドラインをいくら読んでも(方略、評価の用語の用い方自体が適切でないということは措いておいても)、カリキュラム・プラニングを支える「理論/思想」が見えるわけではありません。
「理論/思想」が見えないまま、「与えられた」ガイドラインに従って「指導」しても、肝心なことは伝わらないでしょう。ガイドラインに書かれていることが「適切な」ものかどうか吟味/検討することも難しい。
ガイドラインに書かれている「研修医評価」は結構手間がかかる仕事です。だから、それをなんとか簡単にやり過ごしてしまいたいと指導医は思いがちです。そうなると、指導医講習会は「面倒くさい」仕事を「こなす」こと(こなし方の習得)に傾きがちです。「下請け作業」の研修になる危険があると感じました。少なくとも受講者にはそのように受け止められてしまいそうなので、それに対する歯止めが必要だと思います。
そのこともあってか、最近のいくつかの講習会では「研修医を指導する」という雰囲気が以前よりも強くなりつつあるという気がします。「指導医は伴走者だ」「「指導する」というのはどのようなことなのか」「自分が「指導」するに値するのか」「「指導」を通して自分はどのように変わるのか」といった姿勢は希薄になりつつあるような印象を受けています。
「理論/思想」は(難しいことをいっぱい言いたくなる誘惑を抑えて)できるだけ簡略に伝えなければ,ふだんこのようなことに親しんでいない医者の心に何も残せないと思います。
私は、「指導医」の姿勢/指導方法は、患者さんと接する姿勢(患者さんとのコミュニケーション)と同じなのだということを強調してお話ししています。今年の講習会では、インフォームド・コンセントを例に、指導医と研修医とが双方向的に納得しあう関係が好ましいということをお話ししました(このことについては、No.435に書きました)。
「ガイドラインが「お上」から与えられたのだからそれに従っておけぱ良い」という姿勢は、診療ガイドラインに対してもAIの出す指針に対しても同じような姿勢になってしまうでしょう。その姿勢は、指導医から研修医に伝わっていきます。
「お上」から与えられた(指示された)ものには従っておけばよい(従う方が楽だ)という姿勢は、いつの日か戦争に協力していきかねない姿勢でもあります。患者さんのいのちを守り切ろうとはしない姿勢にもつながりそうな気がします。
「カリキュラム・プラニング講習はもう不要」という発想は、危険なところに足を踏み入れているかもしれないのです。(2025.12)
日下 隼人