No.273 「ちょっと来てくれる?」
コラム目次へ 副院長をしていたころ、私は何か用事がある時にはできるだけ相手の人のところに出向くよう心がけていました(若い時からずっとそうしていたのですが、いっそう心がけるようにしました)。メールが盛んになってからはメールで済みそうな話はそれを利用しましたが、少し大切な話の時はやはりこちらから出向きました。事前に電話かメールで都合を確認し、用向き(「少し教えていただきたいことがあるのですが」「少し相談に乗っていただきたいのですが」)を伝えてから、伺うようにしていました。
用向きを伝えるように心がけたのは、そのころしばしば「ちょっと(院長室まで)来てくれる?」と院長から呼びつけられたことが私自身「不快」だったからです。私は何か仕事を依頼されることがほとんどでしたので、「なにごとだろう」とびくびくしながら赴くことはなかったのですが、それでも良い気持ちはしませんでした。まして、普通の職員ならば、何の用事かわからないまま呼ばれて管理職の部屋まで行くあいだの気持ちは、不安で不快です。理由も伝えないまま、人に自室への来室を求めることは権力的なことなのです 1)。
病気の説明のために患者さんやご家族に面談室に来ていただく時というのは、この「ちょっと来てくれる」と同じようなものです 2)。患者さんは、職員よりももっともっと不安です。軽快しての退院時や病状が良くなってきていることを説明する時ならば、「良かったですね」「良い結果がご説明できるので私も嬉しいです」などと用向きを先に話すこともできますが、はじめて診断をお話しする時や病状について良いお話ができない時には「これから、少し辛い話をしますね」などと言えるわけもありません。個室の場合にはこちらから病室に出向くこともありましたが、医者の来室を待っている間に不安が渦巻きくことは変わりないでしょう。
病室から面談室まではほんの短い距離ですが、ご家族には私が院長室まで歩く長い廊下よりもずーっと「遠い」距離だったに違いありません。面談室に着くまでの時間は、ご案内する私にとっても長い時間でしたから。(2017.05)
1) もっとも、私が面会の依頼の電話をかけわざわざその人の部屋やデスクに赴くことにもいささかのプレッシャーはあったでしょうから、「ちょっと来てくれる」と五十歩百歩だったのかもしれません。わざわざ足を運ばれると、なおさら負担になるということもあるはずです(依頼を断りにくくなるとか)。
2) 面接の場面で、病状と関係のなさそうな質問を突然医師が患者さんに投げかけることは少なくありません。患者さんにとって「どうして医者がそのようなことを自分に尋ねるのか」の真意が理解できない質問をされることは、「ちょっと来てくれる?」と同じです。「意味不明」の質問をされると、患者さんは医師の真意を訝しがり疑心暗鬼にもなります。患者さんの病態を知るうえで、あるいは治療を進める上で、その質問をすることの意味についての説明を少しでもつけ加えれば、患者さんは落ち着いて答えられるようになり、その結果医師はずっと多くの情報を得られることになると思うのですが。