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No.308 医療現場のポリティカル・コレクトネス

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 「日本で最難関の医学部に入るほどの優秀な学生なのに、医者になると『平凡な』人間になってしまうのはどうしてなのだろう」と父がその友人に言うのを聞いていたのは、もう50年も前のことです 1)。その言葉も、その時の雰囲気もありありと覚えているのですが、それが学力的なことを指していたのか人間性のことを指していたのか(その両方なのか)は今となってはよくわかりません。学力と人間性は相関しないと言ってしまえばそれまでですが、大学での6年間と医師になってからの数年の間に学生をなにがしか「平凡な」存在にしていることは今も変わりがありません。
 「学生時代は比較的楽しさを味わわせておいて、入局と同時に、ギルド的な一切を、全幅的におしかぶせてくるので、ひとたまりもなく医学生はその波にのみこまれ、こんど波間に浮かび上った時は若年寄ふうの医学部特有の人生観になりかわっている」と1963年に楡林達夫が書いた状況は、本質的には変わっていないと思います 2)。むしろ、医学部に入った時から学生たちはしだいに医学部の論理を内面化していき、大学に勤める(医学部の場合、大学院に進学することもこの範疇に含まれます)ころにはすっかりその論理に同一化してしまうというほうが事実に近いでしょう。「人のために働きたい」「役に立ちたい」「笑顔を見たい」というような初心(研修医採用試験で言いがちな言葉ですが、多少なりともほんとうのことだと思います 3))を変質させるのは、大学・医学界という「大きな」枠組みそのものですが、そのことに卒前・卒後の医学教育も一役買っているはずです。「若年寄ふうの医学部特有の人生観」を持った人たちが教えるのですから 4)
 先だって「研修医の勉強会で、製薬会社が勉強会の後援をしたり、勉強会で薬の説明会を行うことについてどう思うか」とある大学の先生から尋ねられました。「どの診療科でもしているし、医局に入れば普通のこと」だし、「製薬会社の説明に対するリテラシー力をつけることもできる」。それに「これまで、やってきたのに今更やめようとも言いにくい」と。そういえば、今年の医学教育学会でも、あいかわらずランチョンセミナー花盛りでした 5)
 「せっかくそのことが気になったのなら、やめてみたらどうですか」とお話ししました。「過ちては改むるに憚ること勿れ」です。ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)は鬱陶しがられる時代なのかもしれません。学生同士の会話で「倫理」などと言うと「引かれる」という話を聞いたことがあります。ある大学での講義で演習に藤田省三(民主主義には抵抗と異質な存在が欠かせないと主張)や松下圭一(国に対峙いるものとして自治体からの民主主義を考えた)を紹介したところ、「老害」「批判ばかり」という批判をする学生が多く、そこに自分が野党的にならないように慎重にふるまう風潮の広がりを感じたと、教員は言います(政治学者/野口雅弘 朝日新聞2018年7月23日朝刊)。野党的かどうかというより、なにはともあれ「もめごと」「言い争い」は避けたいという志向が強いのかもしれません。
 でも、教育する者が学生や若い医師の鬱陶しがることを避けるようなことをし続けていけば、コレクトネスは無限に遠ざかってしまいます。こんな時にポリコレを主張するからこその医学教育ではないでしょうか。「背中で教える」ということの重要性は今でも変わりません。このようなことにこだわる医療者の姿勢を見てもらうことが医学教育であり倫理教育です。医学生のころ、誰もが一度は医師と製薬会社との関わりに戸惑い、「これで良いのか」と思ったことがあるはずです。それが、「どの診療科でも普通にしている」のを見ているうちに、「たかだかお弁当」「しょぼい弁当」「豪華な弁当」と馴れていくうちに、違和感が薄れていきます。倫理的感度が蝕まれていくのです。意識的に製薬会社と利害の関わるつきあいを避ける姿 6) を見てもらうことは、かつて抱いた戸惑いを多少なりとも刺激するでしょう。そのことには意味があるはずですし、それこそが医学教育です。「製薬会社の説明に対するリテラシー力をつけること」は、お弁当を食べなくともMRの宣伝を聞かなくともできるはずです。

 「ウイスキー造りは、ず~っと先の未来へ続く夢なんです。今わしらが造って仕込んどる酒は、実は、わしらがこの世からおらんようなったあと、遠い未来に生きてくるんです。わしの仕事は、ドウカウイスキーだけのもんじゃない。ジャパニーズウイスキーの未来のための・・・歴史作りをしとるんです。この先、50年、100年後にはもしかしたら・・・本場スコットランドを超えるような、ジャパニーズウイスキーができとるかもしれん。」(連続テレビ小説「マッサン」113回 亀山政春のことば ニッカウィスキー)(2018.10)

1) 父と話していたのは、京都大学結核研究所外科部門時代の同僚、三重県立大学胸部外科の久保克行教授(その11年後、早逝されました)。1967年春、私は一期校は京都大学、二期校は医科歯科大学を受験し、その中間に試験日があった三重県立大学(現在は三重大学)を受験したのですが。医科歯科大学に合格したため三重県立大学の入学を辞退したご挨拶の意味もあって、津市のご自宅を訪問しました。

2) 楡林達夫とは、若き日の中井久夫さんのペンネームです(つい最近知りました)。この文章の入った「抵抗的医師とは何か」(「日本の医者」所収 日本評論社2010)は、50年以上の時を経た今日の状況にもそのままあてはまる(もしかしたらいっそうあてはまる)と思います。いつも自分の行動が「20歳台の考え(「抵抗的医師とは何か」)に照らして、それに背くものかどうか、そうだとすればどの点かを省みてきた」という中井久夫さんの姿勢を知ると、精神科診療について中井さんが書いたものがあらためて腑に落ちる気がしました。「日本における正しい医師への復帰のみちは孤独を感じることから始まります。あなたは、何よりもまず孤独に耐えていくようにしなければなりません」という文を読み、私はそんなふうに生きてきただろうかと自問しながらも、少しホッともしました。この「孤独」は、「唯我独尊」「他人の迷惑省みず自分の思いで猛進」ではありません。周囲の人との良好な人間関係を心がけ、「同調できるところはできるだけ同調し」、それでも自分の信じるところから足を外さずにいようとする時に、どうしても周囲と同一化しきれない自分を意識して感じる孤独です。
 「抵抗的医師とは何か」は当時の岡山大学医学部(学生)自治会のメンバーに共感され、しゃれたパンフレットに仕立てられたそうです。1960年代半ば、全国で「インターン制廃止」を求める運動が広がっている中で、この自治会は「インターン制強化」を訴えていたとのことです。当時、このスローガンは「体制内改革である」と批判されていたような記憶があります。でも今にしてみると、「卒後臨床研修必修化」の40年も前にそれを見越した運動があったという意味で、岡山大の運動はもっと記憶にとどめられるべきものだと思います。1963年、岡山大学医学部自治会が主管した第9回「医学生ゼミナール」(全日本医学生連合=医学連が主催した、全国の医学生が一堂に会して医療について考える研究会)がその内容の深さから歴史的なものであるとされていることとも繋がっているのでしょう。昨年、岡山大学から講演にお招きいただきましたが、その遺伝子が引き継がれているような気がしました。
 「日本の医者」では、「医師の訓練の点から・・・今日では重要なのは、一つは徒弟的な修練よりも合理的な実習であり、他方には盲目的な学習よりも討論をつうじて鍛えられる思考である」とも中井さんは書いています。私は、このようなことを50年以上も前に語る人がいたことに驚き、それなのに日本の医学教育にBSLやチュートリアルが取り入れられたのは外国からの輸入物としてであったことに落胆し、そして50年経っても全く不十分であることに茫然としてしまいました。

3) この思いだけで日々働き続ける医療者は、バーンアウトしてしまうのですが。

4) 「日本人は集団への所属意識が強いという意味で、集団依存主義に傾くのだが、またそれと平行して運命への従属と依存を感じる運命依存主義の傾向ももちあわせている。ここに運命共同体意識が生まれる」「日本人の自我構造の特徴の一つは、自分の所属する集団の目標活動と内部の人間関係に深い親和感をもち、自分の自我を集団と一体化させ、そこに『集団我』とでも呼べる部分を形成する」(南博「日本的自我」岩波新書1983)

5) 私は、数年前に畑尾先生と一緒に「医学教育に関わる学会で製薬会社の弁当を食べることは、倫理的に問題がある」という署名活動を学会内で行ったので、もちろん昼食は会場外でとっています(今年の学会はお茶の水でしたから、なじみの店に行けて楽だった)。「会場の外に出る暑さ」「見知らぬ町で食事処を探す面倒くささ」があり、紙折詰の弁当が「さほど高そうではない」からといって、自分を甘やかしたくない。学会の演題毎に「利益相反の有無」について明記することを求めながら、ランチョンセミナーが行われている図は喜劇にしか見えません。

6) 製薬会社やMRの人とのつきあいを一切絶つべきだと言っているわけではありません。私自身たくさんのMRの人たちと親しくなりましたし、多くのことを教えてもらいました。それでも、クリティカルに情報を聞く習慣もついていると思っているのですが。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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