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No.400 伝えたいことはほんのわずかなこと

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 このコラムも、とうとうNo.400になりました。これまでいろいろなことを書いてきましたが、言いたかったことをまとめてみるとほんのわずかのことでした。

① 患者さんは「つらく」「寂しく」「孤独」な存在で、同時に「強く」生きている存在であることを忘れないこと。
② 医療とはケアと同義だということ。
③ ケアは、ふれる手から生まれるということ。
④ 患者さんに「助けて」と言われたら、応えるのは医療者の「義務」であるということ 1)
⑤ 患者さんの希望・願い・生きる思いを、かけがえのないものとして大切にすること。
⑥ 倫理(=人と人との付き合い)とは 2)、お互いを尊重し相互信頼を育むことから始まるということ。
⑦ ケアは、相手に敬意を持ち(尊厳 3) を尊重)、相手を信頼する(好意の原則)ことから始まるということ。
⑧ 敬意を持ったつきあいとは
 a.挨拶をきちんとする。敬語を使う。相手を見下ろさない。
 b.患者さんのことを「させる」と言わない。
 c.相手のプライドを尊重しプライバシーを守る。
 d.相手の話をきちんと聴く。
 e.相手に分かりやすい言葉で話す。
⑨ 「患者さんのことが分からない」「どうすればよいかわからない」時には、その宙ぶらりんの状態に留まることが倫理的態度であるということ 4)
⑩ インフォームド・コンセント・Shared Decision Makingは、その人の人生に希望を灯すためのものであるということ。

 ケアも倫理もプロフェッショナリズムも、これだけのことがしっかり伝えられれば十分だと私は思っています。伝える場所は、医療の現場を措いてはありえません。問われているのは日々の医療現場です。
 「あれもこれも言わなければ」「難しい(カッコつけた)議論をしなければ」と思うのは、教育者にありがちな宿痾です。医療倫理でも医師のプロフェッショナリズムでも、語りだせばキリがありません。医療と関わりのある哲学や社会学、心理学、人類学についての書籍や文献は膨大です(もともと医療は人間の「生き死に」に関わることですから、これらの学問の全体が医療と関わります)。そのうえ、生命倫理とか研究倫理とかもことさらに語られます。「そうしたものを医学部教育のコア・カリキュラムに入れよう」、「いや、まだあれが足りない/入っていない」といった議論が起こっていますが、時間に追われる学生にしたら大変なことです 5)。せいぜい表面的に齧って、すぐ忘れてしまうしかありません。私は、もともと勉強が嫌いなので、たくさんの文献を読むのも好きではありません。それに、原稿を書くために医学教育の文献を「やむを得ず」大量に読んだことがありますが、和洋文献ともちっとも面白くありませんでした(学習者に対して取ったアンケートや、学習者の観察評価など、人間の表面を撫でているようにしか思えませんでした)。
 教育すべき内容についてもっと「引き算」で(内容をできるだけ減らして、学生の負荷を減らす)計画を立てることはできないでしょうか。現在のコア・カリキュラムは、コアがどんどん大きくなっているような気がします。教師は「引き算」が苦手なのかもしれません。「我こそは、こうした内容を教育するのに適役なのだ」とばかり、医学教育室(名称はいろいろありますが)の教員のアイデンティティを保つことには効果があるのかもしれませんが。
 学生の負荷を減らす内容にしなければ、そもそも現場で指導する側が実践できないでしょう。学生が覚える/心に留めることはできるだけ少なくしたい。哲学書や倫理の本を読まなくても、そこにたどり着ける途を示せる教育を考えたい 6)。そのために必要なのは、若い人たちに今伝えたいと思っていることは何だろうとあらためて自問すること、つまりは自分の生きる意味を再確認するということなのだと思います。いつも「同じことばかり」言い続け、言葉通りに生きていく途を選ばなければならないのですから。(2022.12)

1) 「応答性とは、相手のわずかな発信にも注意を払い、それに気がついたならば必ず即応する姿勢のこと・・・。押したら押し返される、投げたボールが必ず返ってくる、こうした「手応え」をくり返す中で、自他への信頼が生じ、意欲が芽生え、責任の感覚が湧き出てくる・・・」小片圭子「医療観察法病棟という場」現代思想50巻9号2022特集「「加害者」を考える」

2) 「西洋の倫理学は人間が普遍的にどう行為すべきかを論じてきたわけですが、私が個人としてこだわっているのはむしろ血塗られた次元で生きているこの個別的な「私」が自分の一度かぎりの人生をどうしてくかということで、そこが最も大事なんです」森岡正博/小松原織香との対談「“血塗られた”場所からの言葉と思考」現代思想50巻9号 2022特集「「加害者」を考える」

3) 「尊厳とは、お茶を飲む時、カップに受け皿がついていること」アン・ギャラカー『スローエシックスと看護のアート ケアする倫理の物語』南江堂2022 こんな教育ができないでしょうか。

4) 「(医療倫理は)むしろ、結局は命に序列や優劣をつけるしかないんだよね、という方向に簡単に流れてしまうのではなく、その場に踏みとどまるための知恵の結集、とでも言えばよいだろうか。」玉井真理子・大谷いづみ『はじめて出会う生命倫理』有斐閣アルマ2011

5) フランスでは高校3年時に哲学の授業がすべてのコース共通で必修となっているそうです。日本なら教養課程ですが、教養課程が規模としても時間としてもどんどん縮小されている(教養課程という言葉自体が殆どの大学で消滅しつつある)今では「ないものねだり」でしょうか。

6) 先に挙げた10項目がそれだ、などとだいそれたことを言いたいわけではありません。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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