メインビジュアル

No.343 小さな節約 大きな荒廃

コラム目次へ

 「結局(最後)は金目でしょ」と言った政治家がいました。「人生会議」「良い死に方」などとばかり言うよりも、「医療費を削減したい」と言うほうがずっと正直です。そして、「結局は『生産性』でしょ」。
 「LGBTには生産性がない」という言葉で問題なのは、LGBTという部分よりは「生産性がない」という言葉が人を非難するために用いられていることです。経済活動であれ子どもを産むことであれ、生産性という言葉は要注意です。その言葉は、高齢者の排除を可能にします。「障害児は財政を圧迫させるから、その発生を防ぐべきだ」「障害者は社会のお荷物だ」という国家のための言葉が、個人の選択のように思いこまされてしまうような構造があります。「障害者を社会のお荷物」の位置に貶める社会である限り、出生前診断を否定することはできないでしょう。このような世の中に、このような身体で生まれないほうが良いという「反出生主義」に「一理」が生まれ、「このような身体で生まれてくる可能性がわかっていたのに、出生を止めなかった」ことを訴えるロングフルライフ訴訟に「正当性」が生まれます。が、そうしたものは、ナチスの「生きられるに値しない生の抹消の認可」(カール・ビンディング/アルフレート・ホッヘ)という思想と軌を一にしています。津久井やまゆり園での殺人と同じ論理です。

 「重度遷延性意識障害患者への治療制限の是非」生命倫理25-1 2015という論文を読みました。冒頭の論文要旨(abstract)をそのまま書きます。
 「遷延性意識障害状態の高齢者は今後増大が見込まれ、限られた医療資源を圧迫していく。当院における今後の高齢者患者数予測、及び重篤な脳出血における人工呼吸器治療を例に、延命治療の選択による医療費の差異から高齢者医療の現状を認識し、更にアンケートによる重篤な後遺症が残る場合の治療希望の傾向調査から、延命治療の拒否はどの程度選択されるのかを探った。結果として、高齢者の入院費率は今後増大していき、2030年には75歳以上の患者が入院患者の半数以上を占める。人工呼吸器の装着は患者側の希望があれば選択可能であるが、入院費は約83万円増加し、この治療を制限すれば全国では約17億円の医療費削減が可能であると概算された。これらの結果より、医学的な条件のみで高齢者の治療を制限する必要性を提言し、倫理的な問題点が今後検討されることを期待する。」
 書いているのは大病院の脳神経外科部長です。「正直」と言えば正直なのですが、この病院で治療を受ける気になるでしょうか。そして、このような文章が生命倫理学会誌に掲載拒否はされない時代なのです。でも節約できるのは、たかが17億です。2016年度の医療費は38兆円、福祉その他は24兆円なのに。国家予算(一般会計)が100兆円を超えるというのに(この論文が書かれた2014年度は95.5兆円。ただし、特別会計もあるので国家予算はその3倍くらいになる)。福祉に充てるという名目で上げた消費税の75%は他の目的に使われてしまっているのに。10%に消費増税したとたん、医療費の自己負担増が行われるのに。
 国家の在り方を全体的に考えることなしに 1)、医療費の枠組みだけで「節約」を考えてしまうくらいなら、何も考えないでいるほうがずっとましです。17億の節約は、そのために医療への疑心暗鬼が膨らみ、人の死を早めることに家族が加担させられることで心が荒ぶという人間関係の荒廃と引き換えるに値する額なのでしょうか。著者自身も「治療不要とされる病態が際限なく増えていく危険性がある」と書いているように、いったんここに書かれていることが可能になれば、範囲の無限拡大を止める堰はなくなります(17億だけならば「焼け石に水」なのだから)。心といのちが同時に損なわれていきます。

 「何があっても自分は自分らしく、自分の生きたいように生きていこうと思います」というLGBTの人の言葉、「生には何の意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。唯一の理由にだってなる」(E.M.シオラン「告白と呪詛」 木澤佐登志「生に抗って生きること」現代思想47-14 特集=反出生主義を考える 2019)という言葉こそが、この流れに抗うよりどころになりうると思う。「○○にも生産性がある」「○○にもこんな良いところがある」というような反論は、相手の土俵に乗ることでしかない。(2020.02)

1) この人は、アメリカから日本が購入するジェット機の値段を知っているのだろうか(F35は1機100億円前後とされる)。このように考えてしまう私は、小学生の時の学級文集に「軍備に使う金をもっと平和のために」という意味のことを書いたところからちっとも「進歩」していない。そのとき「子供はそのような発言をすべきでないと父親が言っていた」と公務員の子どもである同級生から言われた。最近の環境問題についてのグレタ・トゥーンベリさんの発言に対するオトナからの(もっともらしい)「批判」や「忠告」を見聞きしていると、オトナというものもちっとも変わらない。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

● コラムNo.230 までは、東京SP研究会ウェブサイトにアクセスします。