No.391 チーム主治医制
コラム目次へ 社会心理学の実験で、「自分以外にもその場に人が居る場合、私たちは援助行動や救援行動といったたぐいの倫理的行動を控えてしまう傾向がある」ことが示されています(傍観者効果という)。最近広く取り入れられてきているチーム主治医制は大丈夫でしょうか。
私が武蔵野赤十字病院をやめる少し前から、若い医師たちの提言を受けて小児科でもチーム主治医を取り入れてみることにしました。そのきっかけは当直体制から夜勤体制への移行(朝から働き、夜間当直をして、さらに日勤をして帰るというシステム1) から、朝から来て夜勤をしたら朝帰宅し、さらに代休を取得するというシステムへの移行)であり、結果として医師の過重労働を減らすことができました(働き方改革です)。医師は、自分の時間、家族との時間も、以前よりは確保できるようになりました。チーム制のもっと大きな意義は、一人主治医で陥りがちなひとりよがりの診療や不十分な診療を回避し、患者さんの処置を主治医以外の誰でも同じように指示できること(うまくすれば技能も平準化できる)、そしてチーム間のコミュニケーション(患者評価・患者情報の共有)が深まることです。
でも、患者さんにしてみれば、気を遣ってつきあわなければならない医者が増えてしまいます。特定の医者と親しくなろうとしても、他の医者との関係を思うと難しくなるかもしれません。どの医者にはどのように接するか、どのような内容のことを話すか、より気遣いしなければならなくなります。
医者の方も、自分だけがチームの他の医者より突出して付き合おうとすれば、いろいろ気を遣わなければなりません。チームの医者たちの顔色を窺わなければなりません。チームで話し合うことで、誤診や過剰・過少診療は間違いなく避けられますが、標準的な治療の枠組みを外してみる(少し治療を踏み込んでみよう、少し治療を控えてみよう)ことは難しくなります。「援助行動や救援行動といったたぐいの倫理的行動を控えてしまう傾向」が生まれてしまうかもしれません。
「足を引っ張り合う」のではなく、「足が先に出る」ことをそれぞれが他の人の足元を見ながら控えてしまうかもしれません。「もしも・・・『病』を雨に例えるなら、私は傘をさしかけてくれるだけでなく・・・ともに・・・濡れてほしいのです」(中村ユキの漫画の言葉 夏苅郁子『人は、人を浴びて人になる』ライフサイエンス出版2017から)と患者さんが思うとき、ともに濡れてほしいのはたいてい一人の医者で十分なのですが、その「ともに濡れるひとり」になるのにも、顔を見合わせたり、「濡れようと思う」人を(濡れたくない)他の人が引き留めることがないとは言えないでしょう(いかにもありそう) 2)。
そのような思いを抱いて開業する医師もいると思います。No.329でも書きましたが、武蔵野赤十字病院に勤めていた整形外科の医師が開業し、その診療所のホームページに「患者さんを、最初から最後までトータルで診たいと思ったからです。初診でどこが悪いのか正確に見極め、その診断をもとに注射や運動療法・物理療法、場合によっては手術で治療し、その後の回復まで見守ることができる。全工程で自分が関われるのは、医師ならではの醍醐味だなと思うんです。ところが、総合病院や大学病院は今、外来診療を縮小する傾向で、勤務する医師は手術が中心になってしまい、本来の醍醐味が薄れてしまうなと感じていました」とありました。このことは研修医の教育にも当てはまり、大病院だけでは「医師ならではの醍醐味」も「患者さんとの付き合いの醍醐味」も伝えることが難しくなってきていることに、私たちはもっと焦らなくてはいけないのだと思います。
傍観者効果については、「てんかん発作を起こした人への援助行動」「部屋の中に立ち込める煙を通告する行動」などの実験があり、また多数の目撃者が誰も通報しなかった「キティ・ジェノヴィーズの死」の事例などが有名です。しかし、ルトガー・ブレグマンは『Humankind 希望の歴史』(文藝春秋社2021)の中で、「傍観者効果」「スタンフォード監獄実験」「ミルグラムの電気ショック実験」などが虚偽、ないしは不確実なものであると指摘しています。「キティ・ジェノヴィーズの死」の例についても、事実誤認があり、何人もの人が対応しようとしていたと言っています。事実誤認であるとしたら、それはチーム主治医制への「希望」となるのですが。(2022.04)
1) その少し前までは、こんな勤務が当たり前であり、私も若いころは患者さんの状態が悪ければ連日病院に泊まり続けることも普通のことでした。受け持ち患者の点滴が抜けたときに、「患者さんが日下先生でないと嫌だと言っています」と言われて、夜中に病院に行って点滴をして、また帰宅して寝る、というようなこともしばしばでした。それは私にはとても楽しいことだったのですが、今ではそんな思い出話をすることも不適切と言われる時代になりました。私自身は、呼ばれることの大変さよりも、朝病院に行ったら自分の思いとは違う医療行為がされてしまっていることの方がずっと嫌でした(緊急時に備えて大事に手を付けずにいた静脈路を使われてしまったり、必要な検査をしてくれていなかったり、などなど・・・これはチーム主治医制でも解決可能だと思いますが)。
2) 医師のつぶやきから。「でもチーム制ではもっとつらかった。責任が数倍に、他人のフォローするぶん仕事量も増えるし、人間関係でもいらない苦労をする。私のような『押しが弱いイジメられ体質』の人間に、全部覆いかぶさってきます。あああ」「チーム医療って、ある意味無責任になりますよね?それと、声の大きい人や積極策が優先される傾向になりやすく、個人的にはあまり好きではないです」。とはいえ、実際には多くの病院では主治医制とチーム制との折衷的な形を模索しているようです。
日下 隼人