No.315 漢字二文字の言葉
コラム目次へ 先日ある指導医養成講習会をお手伝いした時のことです。「社会が求める医師の基本的診療能力」についてのKJカードに「漢字二文字の言葉を使わない」と書いた受講者がおられました 1)。受講者の中には「意味がわからない」と戸惑う人もいたのですが、その人は「漢字二文字の言葉を聞いても、患者さんは医者の言うことが理解できない」と説明していました。このようなことに気を使う医者がちゃんといることに私は嬉しくなりました 2)。
No.280で、柳父章さんが「漢語はタテマエ、和語はホンネ」「音読み(漢語)はタテマエ、訓読み(和語)はホンネ」と言っている(「翻訳語成立事情」岩波新書1982)ことについて触れ、「本気で、心から言っているかどうか、一つの判断材料はその人が和語を話しているかどうかだと思います。漢語やカタカナ語は暮らしに根付いた言葉ではありません。暮らしに根付いた言葉で語られなければ、その言葉は心の中にストンと落ちてきません。カタカナ語はもちろん日本語ではありませんが、漢語(四角い言葉・漢字が重なる言葉)も日本語ではありません。タテマエの話だけをいくら重ねても、言葉は通じにくく、語る人の心は信じてもらえません」と書きました。
そのことは患者さんの言葉でも同じです。ある模擬患者シナリオに「延命治療は希望しません」と患者役が言う設定があったのですが、もしほんとうの患者さんがそのように言ったら、それはきっとホンネではありません。少なくとも、心から納得して=「腑に落ちて」はいないはずです。そのような漢字二文字の言葉は、医療者に「患者さんはまだ納得できていないのだから、そこで立ち止まれ」というシグナルだと受け止めるべきではないでしょうか。タテマエの言葉を言質として、医療者の敷いたレールの上をどんどん引っぱっていって良いはずがありません。
演習でこのような言葉に引っかかる研修者がいてくれればと思うのですが、OSCEのような試験の場合にはやり過ごされてしまうでしょう。模擬面接は両刃の刃です。
「延命」という言葉がこの国に生きる人の心に定着することはこれからもないでしょう。「いろいろとつらいことはしてほしくありません」「無理やりの治療はいい(不要)ですから、できるだけ自然に」「苦しい思いをさせたくありません」というような言葉になるはずです。でもその患者さんや家族の言葉を聞いて、「それでは延命は希望されないということですね」と「□ 延命希望せず」の□にチェックされた瞬間、私たちは患者さんの心と無限に隔たってしまうのです。「なんだか違うんだけどな」と思うていどで済む患者さんもいるでしょうが、そのあまりの隔たりに愕然として、それ以降は口を噤んでしまう人もいるかもしれません。漢字二文字に、人の思いは納まらないのです。(2019.02)
1) 「KJ法なんてくだらない」と書いている人がいましたが、このような思いとの出会いを大切にしなければ、そのように思ってしまうかもしれません。
KJ法=カード(紙片)を活用して、内容や質がまちまちな情報を集め、関連するものをつなぎあわせて整理して全体を把握・統合する手法。川喜田二郎(KJ)氏が考案した。
2) 別の講習会での討議場面で、「オープンな質問を・・・・」と発言する受講者がいました。休憩時間に「コミュニケーションの勉強をなさったのですか」と尋ねたところ、「いいえ。大学でも教わりましたし、みんな知っていることだと思いますよ」と言われてしまいました。コミュニケーション教育の効果は少しずつかもしれないけれど、じわじわと出てきているようです。