No.383 杏林大学にて
コラム目次へ 先日、杏林大学医学部3年生の「早期体験学習」に呼んでいただきました。コロナ禍のため「早期体験」と言っても講義が多くなる中、学生主導のトークセッションを勧めたところ、学生たちが私の話を聞きたいと言ってくれたとのことです。医学教育学教室初代教授の赤木美智男先生が、学生たちに私の著書を推薦図書としてくださったためのようでした。
企画チームの6名の学生が、『話せる医療者』(医学書院2000)、『医療の場のコミュニケーション』(篠原出版新社2013)、『医療者の心を贈るコミュニケーション』(医歯薬出版2016)から、当日までに同級生に読んでもらいたい箇所をセレクトして 1) 配り、そのうえで、私と話したいこと・質問等のアンケートをとってくれました。
医学部に入ってから2年半しか経っていないのですから、少し無理をして「ひねくりだした」と感じられる質問も、内容的に「未熟な」質問も少なくありませんでした 2)。でも、そんなことより、1学年全員の学生たちが私の文章を読んでくれたことに感激しました。今はまだこれらの文章に「どうしてこんなことを言っているのだろう」と思うところのほうが多いかもしれませんが、医者になり、時間が経って、いろいろ経験した時や壁を感じた時に、文章のどこかを思い出してくれる人がいるとしたら、それで十二分です。
「ウイスキー造りは、ず~っと先の未来へ続く夢なんです。今わしらが造って仕込んどる酒は、実は、わしらがこの世からおらんようなったあと、遠い未来に生きてくるんです。わしの仕事は、ドウカウイスキー※だけのもんじゃない。ジャパニーズウイスキーの未来のための・・・歴史作りをしとるんです。この先、50年、100年後にはもしかしたら・・・本場スコットランドを超えるような、ジャパニーズウイスキーができとるかもしれん」(連続テレビ小説「マッサン」113回 亀山政春のことば ※ニッカウィスキーのドラマ上での名称)(No.308でも書きました)。教育に携わるというのは、若い人たちの作る未来を信頼し、その遠い未来に向けて、自分の思いを載せた言葉を贈ることだと改めて思いました。
杏林大学で講義のための実務を取って下さった講師の方は、医療者ではなく、社会人を10年以上経験したのち社会文化科学の大学院を卒業された方でした。医療者でなく、バラエティに富んだ人生を送ってきた人が医学教育に携わっていることは素晴らしいと思いました。小さい時から勉強ばかりして(最近の医学生は文化資本が豊かな人がほとんどですから、そうとは限りませんが)、優等生的に生きて来て(優等生は生き方のことで学校の成績とは関係ありません)、大学とは言いながら職業教育を受け、卒業と同時にすでに見知った世界にストレートに入ってきた医者ばかりが医学教育に携わっていることが、医学教育をとても狭いものにしていると思います。その意味で「医学教育専門家」という肩書にも、私は大いに違和感があります。
医療職でない人というのは、それだけ普通の市民感覚を持った人です。患者さんという「普通の人」と関わる世界だからこそ、普通の市民感覚の「批判的な」眼は貴重であり、その批判を受け止める姿勢が医療者には欠かせません。市民感覚からしか見えず、市民感覚からしか解決策が見出せない問題があるのです。そして、多様な人生経験を経た教員との出会いは、学生の視野を広げ人生の厚みを増す機会となる可能性を秘めています。
医学教育専門家は、ほんとうは目の前の一人一人の患者さんなのです(患者さんにその自覚は不要です)。模擬患者もそのような意味で重要な教育者だと思いますが、「教員に都合の良い教育ツール」として考えているとしか思えないような教員の言葉を見聞きすることが残念です。
と言うわけで、私は杏林大学の医学教育に幾重にも感動しました。(2021.12)
1) 選ばれたのは「わかるわかるはわからない」「援助脅迫症にかかっていませんか?」「医療者_味方」「つきあい_ケア」「「話せる医療者」あとがき」(以上『話せる医療者』)、「患者さんは嵐の中に生きている」「プロフェッショナリズム」「仁義を守る」(以上『医療の場のコミュニケーション』)、「検査・放射線は怖い」「患者さんは孤独で、不安で、悔しい」(以上『医療者の心を贈るコミュニケーション』)で、『話せる医療者』からのものが一番たくさん選ばれました。この本はもう20年以上も前のものですが、版を重ねており、このように若い人たちに読み継がれることは素直に嬉しい。
2) アンケートを読むと、学生さんたちみんなが頑張って読んでくれたことが分かりましたので、コミュニケーションについてかなり突っ込んだ話もさせてもらいました(「少し難しかった」という感想をいただいてしまいました)。それでも、時間の関係もあり、「無駄な延命治療」「無益な治療」「良い死に方」「尊厳死」「寄り添う」といった言葉に慣れないでほしい、ということまでは話せませんでした。
日下 隼人