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No.398 「どんなになってもいいから生きていて!」

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 人はいつも自分についての物語を必要としています。「自分はこのように考え、その思いからこんなふうに(頑張って)生きてきた」と自分を納得させられる物語。現在も未来も、これまでの自分の過去の積み重ねの上にあると考えます。「自分の未来」を選ぶとき、何かを決断するときには、そのこれまでの人生=自分についての物語を踏まえて決断をしているのだと信じます(自分を納得させます)。
 でも、過去から未来を見据えて選択しようとするとき、同時に未来の選択が過去を書き換えています。でも、その書き換えられた過去の物語によって現在や未来の選択が意味づけられているとは思えなくなってしまいます。
 「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」(平野啓一郎『マチネの終わりに』毎日新聞出版2016) 1)
 医療が提示する自分の「未来」、それを聞いて選び取った未来の姿に応じて、現在を支えているはずの過去は意味も形も異なったものになります。「死を選択」した未来と「生を選択」する未来とでは、過去は全く異なったものとして書き換えられ、ナラティブは全く変わります。書き換えられた過去を現実の過去と錯覚し、まるで不動の過去からの帰結として「必然的に」選択を自らしたかのように自ら思いこんで(心の平穏のために、そうせざるをえない)、その上で医療者に話しているのです。そうした事態に目をつぶって患者さんの言葉をそのまま受け止めることは、医療の言葉が別の生を閉ざしてしまわざるを得ないことに無自覚なままでいることです。患者さんが自分を納得させるためにひねり出した言葉に、「生き方/死に方を押し付けた」方が納得しているにすぎません。そのことに無自覚なケアは、危ういのです。
 「自分の最後ぐらいは自分で決めたい」という言葉の裏には、「それまでは何事につけ自分では決められなかった」という思いがあるのでしょうか。もし「最後ぐらいは」というしかないほど、それまで自分のことが自分で決められなかったことに忸怩たる思いがあるのだとしたら、高齢者がすべきことは、後から続く世代に「最後しか自分で決められないことのないように、若いうちから自分のことは自分で決められる人生を歩きなさい。そうすることが可能な社会を作るよう努力しなさい」と言い、そうできるように支援すること、そして生きていると良いことがあるのだという人生を生き切る姿を見てもらうことだと思います(それができるということ自体、「恵まれた」条件にあるということですが)。
 PLAN75は、倍賞千恵子演じる主人公があらためて生きようと思うことを暗示するところで終わりますが、人は「死を選ぶ」という思いは周囲の人から迫られ、「生きよう」という思いは周囲の人たちとの確執の中で自分一人で決意しなければならないのでしょうか 2) 3)
 「「PLAN75」凄い映画だった。いろんな思いが込み上げて、後半ずっと泣いていた。まさに制度という暴力は優しい顔をしてやってきて、迷惑をかけたくないという人の心に選択を迫るのだ。「迷惑かけたっていい、どんなになってもいいから生きていて!」帰宅後、母に泣いて頼んだ。」(六車由美さん/『驚きの介護民俗学』医学書院2012著者/6月19日ツイッター)(2022.10)

1) 「ドゥルーズは、記憶をも、失われた過去に埋め込むのではなく、未来に向けての創造という方向から論じていくのである」檜垣立哉『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』ちくま学芸文庫2019

2) いろいろなツイッターから
 「国が高齢者への公助を切ったら身内がその分を負担するしかないわけで、結局は若い世代が苦労するんよ。だから分断させられちゃダメ…(でも日本の場合は、これを解消するために安楽死を導入して◯歳以上で自主的に安楽死を選択した人の遺族には◯円を給付します!とか元気いっぱいに言い出しそうで怖い)」
 「PLAN75を希望する人がこんなに多いのは「老後に希望がない」からでしょうね。多くの人は社会人になると定年までまとまった時間は取れないはずです。 やっとまとまった時間ができた時にお金がない、健康がない、お荷物になってる、そんなことを今から思わせる社会なんてはっきり言って失敗作です。」
 「自爆テロは死後天国に行くと洗脳していたりするらしいけど、働けなくなったら社会に迷惑をかけずに死にたい、みたいな価値観は、時間をかけた同じテクニックのように思う。「社会に迷惑をかける存在」というレッテルを受け入れさせられ、善行のつもりで死を選ばされる。」

3) 「本当にあれだけ強がり言ってて「どれだけ生きるかじゃない、どう生きるかだ」なんて言ってた自分が「もう本当に1年が無理だったら半年でもいい。半年が無理だったら3カ月でもいい」っていうふうに、自分の生きる事についてこだわりが正直にこみ上げてきたんですね。・・・だからもっと自分に正直に・・・生きたいと思うんだったら「俺は死にたくない」っていうことを正直に言葉にしたり自分の行動の中に表してもいいんじゃないかなと思ったんです。」 元NHK解説委員の柳澤秀夫さんが肺癌になった時のことを「徹子の部屋」(2019.1.23)で話していました。そんな思いの柳澤さんが、90歳を過ぎて心疾患のために死を間近に意識していた母親の言葉を聞きます。「母は・・・私がそのがんになってまだ治療をしてるところで亡くなったんですけど。ベッドに寝てた母が相当弱ってましたんで・・・、でも、ある日ベッドに横たわって天井を眺めながら「もっと生きたい」って言ったんです。その言葉を聞いた時に、いくつになっても生きてる人間っていうのはこれでいいっていう事は絶対ないんだって。本当に「半日でもいいから長く生きていきたい」って、これがやっぱり人間の正直な姿じゃないかなって・・・。」


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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