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No.292 どのような選択であっても

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 「あなたがどのような人生の選択をしても、私はあなたの人生を支持する」という言葉を、私はこれまでの人生でほんの2,3回しか言ったことがないような気がします。その人がどのような選択をしようと(ということは、自分の価値観とどんなに対立する選択であっても) 、その人がそのような選択に至るには深い考えがあってのことだろうし、そのように考えるその人の人間性には絶対的な信頼を抱いているということです。人生で、そのような人に出会うことはきっと財産です 1)
 でも、このように「支持する」という思いは、対等な関係では成り立たちにくいという気がします。配偶者や恋人に対してならば、自分と基本的な思考・志向・嗜好は同じであってほしいと思うでしょう。僧侶と牧師の夫婦をテレビで見たことがありますが、それは極めて例外的なことだからこそ放送されています。この夫婦は、宗教心という深いところで共通の志向があるということでしょうか。ほとんどの場合、「あなたがどのような選択をしても、私はその選択を支持する」というのは、「上から見守る」か、相手に従属する場合に使われる言葉 2) 3)なのですし、しばしばその両面をあわせ持ちます。
 病むという人生の危機的局面にある人は、そのことを踏まえてこれからの人生についての選択を迫られます(人生は選択を迫られることの連続ですが)。危機的局面だからこそ、そこでの選択はその人のこれまでの人生のすべてがのしかかってきます。その人の人生観・生き方の根本に関わるものであり、譲れない選択 4)であるはずです。医療の仕事は、そのような患者さんが選択すること自体を支援し、選択したことの結果を支持することだと思います。その選択が自分の価値観と根本的に相反する場合はいくらでもありうることですが、自分の価値観で患者さんを評価・裁断してしまうことを禁欲しなければ、患者さんを支持することはできません。
 患者さんが「どのような処置をしてでも自分は生きたい」(家族がそのように求める場合も同じです)と言うのならその言葉を「絶対的に保障する」と言うことができなければ、「これ以上の治療は望まない」という人の人権も人生も保障できないのではないでしょうか。「あなたがどのような選択をしても、私はあなたの人生を支持する」(という言葉が「上から」のものだとしても)と、自分の選択を絶対的に保障してくれる人にしか自分の人生を任せることはできないと思います。インフォームド・コンセントは到達点ではなく、そこから患者さんを支えていくために必要な最低限の条件なのです。(2018.02)

1) 面と向かっては言わなかったけれど、このような思いを抱いておつきあいしてきている人が、たくさんいることは言うまでもありません。

2) 戦後の日本が常にアメリカの選択を支持し、自らの行動について常にアメリカの承認を求めてきたのは、もちろん完全に従属しているからです。きっとそのことは誰もが気づいていることで、「自主憲法制定」などという言葉はその事態から目を逸らしたい(あるいは誤魔化したい)人が用いてるだけなのでしょう。周到な根回しによるアメリカの(裏での)承認なしの憲法改定はきっとなく、そのとき「押しつけ憲法」という批判は「攻守ところを変える」ことになるのでしょうか。

3) M.エンデの「はてしない物語」について、小原信は「ファンタジーの発想」(新潮社1987)で次のように書いています。
 「だれか特定の人を他のだれよりも特別な扱いにする―愛するということは、自分がその人を他の誰よりも信じることにする、という一つの賭けなのだ。そして、その賭けが可能になる根拠というのは、今の自分にわかる範囲で、他の人はともかくとして自分は、この人にある種のファンタジーを見出して、それに賭けてみる、ということである。友情も恋愛も、その限りでは一種の信仰だと言える。」
 「たとえバスチアンがみんなの前で自分を罵倒してもなお、友を助けようとする気持ちを持ち続け・・・・本当にその相手にとって何が一番いいことか、なにが一番大切なのかを真剣に考えてあげられること。それが本当のやさしさであるが、そのやさしさは勇気と忍耐と寛容さと誠実さに支えられている。」
 「やさしさ」という言葉は、清水真砂子の言うように要注意の言葉なのですが。「『やさしさ』・・・が美意識の対象として私たちのうちに入りこんできた時、どんな危うさをそこにはらむか」(「子どもの本の現在」大和書房1984)

4) とはいえ、「自己決定」はもろもろのしがらみの中で、そんなに視野を広くはとりえない状況の中での思考の上に、限られた(しばしば大差ない)選択肢を選ぶことでしかないものです。それに、危機的局面だからこそ思考は合理的とは限りませんし、日々変動しうるものです。そのようなものであることを認め、それでも受け止めて、「あなたがどのような選択をしても、私はあなたの人生を支持する」と言えることは、プロフェッショナルであることに欠かせない条件だと思う。

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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